第七十回 出版不況が進むなかで

三原 浩良

◆DTP導入でコスト削減
 平成7年(1995)、創業25年をむかえた葦書房はこの年、福岡県文化賞、福岡市民文化賞を受賞した。すでに毎日出版文化賞、梓会出版文化特別賞などの受賞歴があり、知名度や実績は全国区になっていたが、今度は地域文化への貢献ということであろう。だが本来ならこの賞を受けとるべき久本三多の姿はすでになかった。
 わたしは自身初めての決算期を前に市内に借りている倉庫を見に行った。60坪ほどの倉庫は高さ5メートルの天井までびっしり本が積まれ、押せば倒れてきそうなほどである。その数913点、11万5千冊。久本が24年間につくってきた本の山である。
 放置すれば倉庫がパンクするだけでなく、在庫は資産にカウントされて課税対象になるから、棚卸しで今後も売れそうにない本から断裁(焼却)処分せざるを得ない。つらい不毛な作業である。
 ここ数年の経理数字をみると、売上げは2億円前後を確保できているが、印刷費(製本費を含む)が高い。その売上げに占める比率は五九%→五八%→五三%で印税や諸経費をあわせたコストは90%にもなっている。これでは苦しくなるはずだ。
 わたしはまずは売上げの60%近くを占める印刷費を下げ、低い粗利率50%にあげることを目標に定めた。
 さっそくワープロをパソコン(Mac)にきりかえ、DTP(デスク・トップ・パブリッシング)を導入する。クォークエクスプレス、ページメーカーなどの組版編集ソフト、イラストレーター、フォトショップなどの高価な関連ソフトも思いきって買いそろえた。
 さいわい学生時代からの友人、津野海太郎が季刊「本とコンピュータ」の編集長をやっていたので、彼にいろいろ知恵をかりてのことである。
 とは言え、やっとワープロに慣れたばかりのわたしが自在に扱うには無理がある。しかし、若い人はまたたく間に操作を身につけ、DTPによる編集組版が軌道にのりはじめる。DTPの導入で組版を内製化したために印刷費をかなり低く抑えられるようになった。
 この年の決算をみると、それまで50%超だった印刷費は40%台に落ち、返品率は19%に下がり、粗利率も目標の50%に近づいていた。

◆これだけは何としても出さねばと
 しかし、懸案事項がいくつか積み残されていた。そのうち最大のものが水俣病事件の資料集である。
 水俣病闘争が大きなヤマ場を越えたところで、わたしは患者とチッソの補償問題をめぐる自主交渉ドキュメントを編纂、葦書房から出版された(石牟礼道子編『天の病む《実録水俣病闘争》』)。巻末に関連資料12点を収容したが、今のうちに関連資料を集めておかなければやがて散逸してしまうのではないかと不安を覚えた。
「福岡・告発」のメンバーの九大工学部の院生数人と資料収集にとりかかったが、始めてみると資料は膨大になることがわかった。とうてい現地から遠くはなれた福岡で、仕事のかたわらできるようなものではない。
 熊本には患者の訴訟支援のために富樫貞夫・熊大教授(当時)らを中心に研究者やメディア関係者などでつくる「水俣病研究会」があり、こちらはその成果『水俣病に対する企業の責任《チッソの不法行為》』で訴訟を勝訴に導く法的な原動力になっていた。
 ちょうど第一次訴訟が患者側の全面勝訴で確定したところだったので、虫のいい話だが「渡りに舟」とばかり、「資料集」の編纂を頼みこんだ。研究会もその必要性を感じていたようで即座に了解がえられ、あらためて熊本で作業がはじまった。
 しかし、研究会は戦前の資料から収集、整理をはじめたので作業は遅れにおくれ、わたしが葦書房を引き継いだころには、バラバラに入稿された初校、再校のゲラが残っているものの作業は停滞したままになっていた。すでに着手から20年近くたっていたので、印刷所はこれまでにかかった費用の支払いを求めていた。
「これだけは早く何とかしなければ」と思っていたわたしは研究会に催促し、編集担当の小野静男君は深夜まで入稿、校正と格闘するかたわら毎週のように熊本に足を運んでは作業を加速させていった。

◆『水俣病事件資料集成』が毎日出版文化賞
 こうして2年後、着手以来20数年かかった『水俣病事件資料集成―1926~1968』が完成した。B5判、上下1850ページ、重量5キロもの大冊になった。
 印刷・製本費・印税あわせて仕入れ原価は何と3千万円。原価計算のすえに決めたギリギリの定価は6万3千円! 果たして採算はとれるのか、自信はなかったが蛮勇をもって決定した。
 さいわい各紙一斉に好意的な書評や紹介記事が載って、こんな高価な本なのに1年で900冊くらいがさばけ、製作費はひとまず回収できた。
『資料集』はこの年の毎日出版文化賞(企画部門)を受賞した。葦書房としては12年前の『宮崎兄弟伝・日本編』(上村希美雄著)に次ぐ二度目の同賞受賞であった。
 しかし、寝ていた企画はほかにもあった。大きなものは蘇崇民著『満鉄史』と『夢野久作著作集』(全六巻)のふたつ。
 前者は中国側資料により中国人によって書かれたはじめての訳書。高額印税はすでに支払われ、原著者はオーストラリアに移住していた。翻訳者が複数のために調整に手間取り、着手以来すでに十年近くたっていたが、3年後にやっと完成できた。大冊のためこちらも定価2万1千円超の高価な本になった。
 後者は全六巻のうち三巻を刊行ずみだったが、編者の健康上のつごうなどで停滞したままだった。翌年にはなんとか第4回配本『近世快人伝』を刊行できたが、全巻そろえるまでにはさらに時間がかかった。