第七十二回 出版マイナス成長のなかで

三原 浩良

◆目標はかかげたが
 出版不況はじわりと葦書房の経営を圧迫していた。前回ふれたように平成9年にいきなり売上げが対前年比24%も落ち込み、それ以降もなかなか回復できなかった。
 深刻化する出版不況にどう対処していくか。売上げの減少はある程度は想定していたことだった。それ以前の葦書房は出版バブルだったからだ。
 大量につくって減る一方の書店に送り込めば、一時的な売上げは増やせても、やがて大量返品の発生となって最終的な売上げは減少する。実際にデータからもその傾向がみられた。大量に印刷してばらまく時代はおわりつつあった。出版業界は5年つづけてマイナス成長だった。
 ふたつの目標をたてた。ひとつは売上げよりも粗利を重視し、粗利率50%を目標にした。印刷費の適正化などでコストを下げ、それまで初版三~四千部があたりまえだった印刷部数をしぼりこんで粗利の確保を優先する。
 いまひとつは売上げの60%を占める新刊書の計画的な刊行である。固定費をふくむ諸コストから逆算して年間24点(月間2点)の新刊が必要だと目標を設定した。
 しかし、これは言うはやすく実現は容易ではない。粗利率のほうは印刷費の適正化もあって5年つづけて53%~58%を実現できた。しかし、粗利率50%は印刷コストの適正化だけでは実現できない。どうしても定価設定が高目にシフトし、売上げの減少につながるおそれもある。悩ましいところである。
 新刊書年24点の刊行目標のほうは、実際には19点→19点→18点→17点→19点と推移した。著者側の都合もあったろうが、編集スタッフ3人の制作力の限界だったかもしれない。編集スタッフは同時に自費出版も担当しているから。
 自費出版は33点(対売上比35%)→33点(33%)→29点(26%)→31点(21%)と、かつて売上げの40%を支えていたのに20%台まで落ちていた。
 この4年の返品率をみると、冊数ベースでは30%→25%→29%→27%と優等生だが、金額ベースでみると39%→43%→37%→39%とかなり高率になっていた。
 この結果、平成9年以降4年の年間売上げは1億5千万円前後と横ばいで推移していた。取次への新刊委託数の激減、自費出版の受注減が大きな要因になっていた。
 それでも悪条件のなか、平成11年(1999)には日本編が毎日出版文化賞を受賞した『宮崎兄弟伝』(上村希美雄著)全5巻を15年がかりで完結させ、10年がかりの訳書『満鉄史』も刊行できた。
 さらに翌年には、第一回配本から20年以上もたっていた『夢野久作著作集』第六巻の刊行にこぎつけ、やっと全六巻を完結させることができた。
 それぞれ大幅遅れには事情があったが、ともかく創業者の久本三多が手がけてはじまった大冊をやっと仕上げることができて、すこしは肩の荷がおりた心地であった。

◆あの手この手で流れに抗した
 一般に地方出版といわれる中小の出版社の多くは、売上げのほとんどを地域対象の書籍、歴史書や各種ガイド本などの実用書に頼っているのが実情だろう。
 葦書房の場合も同様だったが、そこにも微妙な変化がみられはじめていた。1998年から3年間のデータを調べてみると、地元の九州・山口からの受注が全体の56~61%、その余が他地域からの受注、このうち15~16%が首都圏だった。
 年間の新刊が20点未満の規模では、その内容次第で数字は大きく動くので一概には言えないが、この比率にも変化がみられだした。目立ったのが地元、九州・山口からの受注の漸減である。
 それまで動きのよかった歴史書やガイド本の売上げが減りだしていた。『マイカーで行く九州100山峰』は、改訂のたびに最新情報に更新して版を重ね、累計10万部を超すロングセラーだったが、九州各県の県別『山歩きシリーズ』ともども伸びなやみが目立ちはじめる。地方の書店の減少にくわえ、山岳書専門の中央大手が県別のオールカラー版の刊行で参入し、競合してきた。
 一方歴史書のほうも地元の他社との競合が目立つようになる。葦書房出身の編集者たちが次々に独立して出版社をたちあげ、出版傾向はどうしても似てくる。編集者だけでなく営業マンの流動もはじまっていた。おそらくそんな事情が重なって地域本の売上げが微減傾向をたどりはじめたのであろう。
 かつては書店の常備制度(特定版元に棚を貸す)のおかげで、九州に300を超す既刊書をおいてくれる常備店があったが、書店の減少や新刊書洪水のあおりで次第にその規模を縮小したり消えていった。
 手薄な首都圏への営業も悩みのタネだった。福岡から年に一、二度の訪店では効果はあまり期待できない。ちょうど定年をむかえた中堅出版社のベテラン営業マンの友人がいたので、彼に首都圏営業を頼むことにした。書店営業もさることながら、取次との新刊書の委託数交渉にひと役かってもらうためである。
 出版不況に抗してあの手この手を模索してきたが、なんとか売上げを維持するのに精いっぱいの数年であった。