第七十五回 葦書房を追われた

三原 浩良

◆社長解任、ふたつの理由
「葦書房 オーナーが社長解任 全従業員も退社の異常事態」(讀賣新聞)
 こんな見出しの記事が各紙で報じられたのは、平成14年(2002)9月30日だった。
 もう十三年も前のことだが、いまでもこの日のことを書くのは気が重い。
社長とは私、オーナーとは久本三多前社長の元妻、久本福子氏のことである。彼女は久本君逝去の8年前に離婚していたが、遺児3人が相続した出資金(株式相当)の譲渡を受けてオーナーとなっていた。
 久本君から私が葦書房の経営を引き継いだとき、彼女は「これで『葦』は大丈夫だと、私のみならず誰もがそう思ったのではないでしょうか。長い間『葦』を支えてくださった三原さんに後を託すことが出来、久本もほっと胸をなで下ろしていることと思います」と手紙を寄せてきたが、やがて時間の経過とともにその関係は悪化していった。
 その経緯の詳細は省くが、株(出資金)の買い取り価格や、私の後継社長をめぐってどうしても折りあうことができず、ついに私の解任となったのである。その当否は問うまい。法律上のオーナーには絶大な権限があり、私に対抗手段はなかった。
 彼女はその日、集まってきた記者たちに「売上げが落ちた」ことと、「出版傾向の近代」の2点を、私の解任理由にあげていた。
 むろん反論がないわけではなかったが、私は記者たちには釈明しなかった。8年という長い経緯のなかで生じたことであり、ひとことや二言で説明できることでもなかった。おそらく説明しても新聞は〝両論併記〟ですませるだろうと思われたからでもある。
 かつて葦書房に在籍していた福元満治氏(石風社代表)は、そのあたりの事情に通じていたので、新聞への寄稿で簡潔に問題点を指摘していた。以下にその一部を引いておく。

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 新聞報道では、解任の理由を二つ上げている。ひとつは経営悪化の責任であり、ひとつは出版傾向が「反近代」に偏りすぎている、というものである。いくらか事情を知る者からすれば、二つの理由とも笑止である。
 経営の悪化の問題で言えば、三原氏の業績はむしろ葦書房中興の祖と称賛されはしても責任をとらされるようなものではない。厳しい出版業界の中で八年間黒字経営を維持したという業績だけではない。三原氏がいなければ、あの『水俣病事件資料集』の刊行や渡辺京二氏の『逝きし世の面影』をはじめとする一連の評論集の刊行はなかったであろう。これは新社長の言う「反近代」などという言辞で一括り出来るような作品ではなく、近代そのものを深く問い直す作品群であり、これらは明らかに故久本三多氏の遺志を継ぐものである。(中略)
 八年前死の床にある久本氏から、三原氏が火だるま状態の葦書房の後事を託された経緯については詳しく述べない。ただ私が断言できることは、三原氏が引き受けなければ、葦書房は早晩消滅していたということである。
 私がこの稿で述べたいのは、三原氏の功を讃えることではない。三原氏が久本氏の遺志を継ぎ内外の敵と戦いながら維持してきた葦書房の火をこの悪夢の中で絶やしてはならないということである。
 今回の事態は、喩えて言えば走行中の車の中にいきなり車のオーナーと称する人物が運転を代われと乗り出してきたようなものである。しかもその人物たるや無免許に近いのである」(「熊本日日新聞」10月4日、「葦書房悪夢の解任劇」)

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◆「葦書房の火を消すな」
 その日からあわただしく事後処理に追われた。8人の従業員には「去るもよし残るもよし各自の判断に任せる」と告げたが、彼女に解任不当を訴えたあと、全員が「新社長のもとでは働けない」と退社を選択した。
 まず進行中の図書や自費出版物について著者に事情を伝え、継続の意思をたしかめると、葦書房での出版継続を希望する人はいなかった。大半を地元の他の出版社に紹介して引き継いでもらったが、すでに予約もとっている進行中のシリーズ企画「近世紀行文集成」には弱った。結局、事情を知った著者は原稿をひきあげ、シリーズの刊行は中止という著者にはまことに心苦しい申訳ない結果になってしまった。
 既刊本の出版権は葦書房に帰属するため、在庫切れになって著者との契約が切れるまでは他社から再刊、復刊できない。しばらくは宙に浮いたままになる。こうして村田喜代子さんの『名文を書かない文章講座』も、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』も、増刷できないまま絶版状態がつづき、やがて前者は朝日文庫から、後者は平凡社ライブラリーから復刊されることになる。数多くの著者と本たちには申訳ない結果になってしまった。
 その後の葦書房についてはくわしくは知らない。所在地が転々とかわり、有限会社は清算され、個人営業にかわったようだ。
 しかし、彼女が念書までいれて約束した借入金の個人保証(私)変更も、従業員への退職金支払いも果たされず、私はふたつの金融機関から1千数百万円の債務の肩代わりをさせられることになった。
 この無謀な解任劇に怒りがないわけではなかったが、より気がかりは倉庫に残る本たちの行く末と、福元氏が指摘する「葦書房の火を絶やすな」という思いであった。
 やがて葦書房でいっしょに働いてきた人たちと「再生」を模索しはじめることになる。