第七十八回 「戦争を知らない子供たち」

三原 浩良

◆「タダゴトじゃない」歴史認識
 78歳の誕生日がきてしまった。とくだんの感慨はないが、物心ついてざっと70年、そっくり戦後の時間の流れと重なっている。
 先に平成になっても「昭和」を生きているのかもしれないと書いたが、ただしくは今も「戦後」を生きていると書くべきかもしれない。
「戦争が終って 僕等は生れた」と始まるフォーク「戦争を知らない子供たち」が流行ったのが45年前、1970年だが、その5年後には「戦後生まれ」が人口の50%を超え、いまでは80%を超えている。
「戦争を知らない」どころではない、「戦争があった」ことすら知らない世代が増えているのだ。
「えッ、日本はアメリカと戦争したの? それでどっちが勝ったの」そんな質問をした大学生がいると聞いたのはいつごろだったか。「まさか!」と思いつつ、戦後教育をからかったよくできたブラック・ジョークだと苦笑したものだ。
 ところがどうやらこれはジョークなどではないと知り、深刻なショックを受けた。
 半藤一利氏が、東京のある女子大の講義で「昭和史」についてアンケートをした。「太平洋戦争で日本と戦争をしなかった国は?」という設問に四つの国名をあげて答えさせたところ、50人中13人がアメリカに○をつけたという。
 そのうちのひとりの学生から「どっちが勝ったんですか?」と無邪気に尋ねられたという。「若い人がお粗末という以上に、日本の教育そのものがそういうかたちになっているんだと思います。これはタダゴトじゃないぞ」と感じたと半藤氏は書いている(『体験から歴史へ』)。
 たしかにこれは「タダゴト」ではない。隣国・中韓との歴史認識の相違が話題になる昨今だが、これはもはや「認識の相違」レベルの話ではない。

◆戦後民主主義は「偽善」のバチルスか
 俳優の仲代達矢氏は、若い俳優20人ほどに「戦争って聞いて何を思い浮かべる?」と聞いたところ、一番多かった答えは「受験戦争」で、「第二次大戦」と答えた者はひとりもいなかった、と新聞の対談で語っている(2015年1月14日、「毎日新聞」)。
 そうか、若い人たちには「あの戦争」よりも「受験戦争」や「交通戦争」のほうが、身近な「戦争」だったんだと思い知らされた。
「戦後」をまるまる生きてきたわたしは、「安保法制」の行末に無関心ではいられないが、その「安保法制」に異議を申し立てる同世代の政治家3人を、ある全国紙は「戦中派」とひとくくりにしていた。
「戦中派」とはあの戦争のなかで大人になった世代、大正末から昭和ヒトケタ生まれの世代を指すものと理解し、事実そう使われてきたはずだ。ところが、おそらく高度成長期以降に生まれた記者たちには、昭和フタケタ生まれまで「戦中派」にみえてしまうらしい。大学生ではない、こちらはそれなりに戦後史についての知識も身につけているだろうと思われるジャーナリストの認識である。
 昭和12年生まれのわたしの世代は「戦後派」ですらない。強いてくくろうとすれば、戦中派と団塊世代にはさまれ、戦後の民主主義教育を最初に受けた世代、「戦後民主主義派」とでも称するほかなかろう。どこかあいまいで、頼りない、半端な世代かもしれない。
 その「戦後民主主義」というのが、先行世代からも、続く世代からもすこぶる評判が悪いようなのだ。
 反戦フォーク「戦争を知らない子供たち」が流行った1970年、自決の数ヵ月前に三島由紀夫が語っている。

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「二十五年前に私が憎んだものは、多少形をかえはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルスである」(略)
「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましにする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、かろっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。(「果たし得ていない約束」昭和45年7月)

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 三島の指摘にはにわかに同調できないものの、後段の指摘までも全否定することはできまいとも思われる。
「戦後民主主義」というのは、そんなにヤワで偽善的で、「脱却すべき」戦後レジームを形成してきたのだろうか。