第七十九回 ものぐるほしきこの年の夏

三原 浩良

◆「忘却され、消失されてゆく」
 暑い、それも猛烈に暑い今年の夏。日本列島はいつから亜熱帯になってしまったのか。だれもが何だかおかしい、地球温暖化がこの異常をもたらしたに違いないと思っている(ようにみえる)。
 ところが温暖化をとめようとする地球規模の話になると、一人ひとりの力や、ひとつふたつの国が声をあげてもどうにもならないこともまたみんな知っている。核軍縮の協議がかけ声だけでまとまらないのと同じように。
 フクシマの事故から反原発、脱原発の声があがり、40年かかるという廃炉の道筋さえ定かならぬというのに、政治は目先の実利を追って再稼働に走り、ツケを孫子の世代に押しつける。そればかりかキズものの原発を他国に輸出しようと奔る。
 わたしたちはこうして徐々に破局に向かい、無力感からニヒリズムに走るしかないのか。
 ――閑居老人は、頼まれもしないのに地球のことまで心配するので、今年の夏はことさら暑い。くわえて憲法無視の〝安保法制〟なるしろものが暑さをいや増す。

  今年(このとし)も 又ものぐるほしくなりぬらむ 八月の空夏雲の立つ

 長崎の被爆医師・秋月辰一郎さんが、この一首を詠んでから四十四年のときが流れた。秋月さんはつづけて「原子爆弾について、私は年ごとに遠慮がちに話さねばならなくなっている自分を感じる。一片の歴史的事実として忘却され、消失されてゆく原爆の被害について、しだいに口が重くなり、ともすれば黙しがちになっている。いったいそれはどういうわけだろうか」と書いている(『死の同心円』)。
 戦後生まれが日本人の8割をしめるようになった。5割を超えたころから、被爆体験や戦争体験の風化が一気にすすんでいったように思う。秋月の嘆きもそこにあった。

◆「知らなくても想像できるはず」
 昭和12年生まれのわたしの、「戦争追体験」は、16歳で読んだ戦没学徒たちの手記『きけわだつみのこえ』に始まる。
 あれ以来、戦記や戦争と戦後にまつわる記録や物語を数えきれないほど読んできたつもりだが、実際の「体験」とちがって「追体験」は、やがて記憶がうすれ、忘れてしまうことも多い。「戦争体験の継承」と言い、「追体験」と言っても、ときとともに風化はまぬがれがたい。
 戦後70年の原爆忌の前後、なんとか頼りないわが記憶をよび戻そうと、中学2年のときに見た映画「原爆の子」(新藤兼人監督、1952年)を60年ぶりにみた。つづけて「黒い雨」(今村昌平監督、1989年)を、「八月の狂詩曲」(黒澤明監督、1991年)も。
 さらに陸海の戦争記録文学の双璧ともいうべき大岡昇平『野火』と、吉田満『戦艦大和ノ最期』を読みなおした。
 大岡は戦後、8月になるとほぼ毎年のようにメディアの求めにこたえて戦争と戦後について寄稿しているが、戦後40年に寄稿した「七十六歳の大東亜戦争生き残りの感想」に次のような一節がある。

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「戦争を知らない人間は、半分子供である」と、私は昭和二十六年『野火』の中に書いた。これは私の書いたものの中で、評判の悪い句である。若い人の批判があり、私信で抗議がよく来る。戦後生まれの戦争を知らない人たちには、侮蔑とうつるらしい。二十六年当時では、戦争を知らない同年配の人に向かって、アイロニーとしていったつもりだが、戦後四十年の間に、実質のある言葉になったのだ。
 戦争なんか知らないよ、という人が増えている。イマージュ思考、フィーリングなんて言葉が、若者にこびるマスコミによって発明されている。言葉がなかった頃も、人類は生きていたのであって、これはいつわりではない。しかし文明が生じた時、人類は同類を殺してその財を奪うこと、つまり戦争をはじめたのであって、この根本的条件を「知らないよ」ですますのは賛成できない。知らなくても想像することはできるはずである。(『証言その時々』)

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 七十六歳の戦争の「生き残り」は、「戦争を知らない」世代の増加にいらだっている。

◆特攻から生還したふたり
『戦艦大和ノ最期』の吉田満は、学徒出陣で海軍にはいり、大和の特攻作戦から奇跡的に生還したひとり、「きけわだつみ」世代である。やはり特攻出撃直前に敗戦をむかえた島尾敏雄との対談で吉田はこう語っている。

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 実際、戦争の中には、いい人間も、悪い人間もいましたね。いい人間が、なぜそんな戦争なんかしたのか。戦争をやらなかったら、どんな人間になっていたか。これは、私たち世代自身の問題ですね。あるいは、戦後日本という社会の……。
 いまの若い世代の人でも、観念的には戦争の悲劇性ということをいってのけますけれど、観念だけではなく、それはやはり裏付けを持つという意味で、わたしなんかは、そういう全体を含めた戦争の悲劇の大きさというか、深さというか、そういうことを事実として書いていく必要があるんじゃないか、と思っています。何であろうとも、それ全体が虚しいということですね。(『特攻体験と戦後』)

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再編集されたこの対談『新編 特攻体験と戦後』に付された解説で、加藤典洋氏は次のように書く。

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 若い人が読めば、この二人の話には、もう何が言われているのか意味がわからない、というようなところも多いはずである。しかし、もしそういう個所にぶつかったなら、その「わからなさ」を噛みしめることが、必要でもあれば、期待されることである。戦争が終わり、三二年後に語られた特攻体験が、さらに三七年をへて、「わかりやすい」はずがあるものか。

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「知らなくても想像する」ことも、「『わからなさ』を噛みしめる」ことも、いずれも容易なことではないが、若いひとたちにはそのことを期待せざるをえない。「体験者」たちが消えてしまう日の近くなったいま、老人はせつにそう願う。