第八十回 戦後民主主義とは何だったのか

三原 浩良

◆一枚岩ではなかったはずだが
「おッ! これは」と、思わず既視感(デジャブ)におそわれた。
 8月30日の日曜日、安保法制に反対して国会をとりまく数万のデモの人波を写しだす映像を目にして、思わずつぶやいていた。
1960年6月の安保改定を主導した岸信介首相、そしていま安保法制の成立を強引にはかろうとする岸の孫にあたる安倍晋三首相、半世紀余のときをへだてて感じた二重うつしの既視感であった。
 60年同様、法案はおそらく成立するだろう。それですぐさまこの国が「戦争のできる国」にかわるとは思わないが、いま「憲法」にたたきつけられたジャブが、やがて「憲法」をKOする恐れがないとはいえない。
 8歳で敗戦をむかえ、以後70年の「戦後」を生きてきた、われら国民学校世代は「戦後民主主義」の申し子のように言われてきた。その「戦後民主主義」もいまや危うい。
 この夏、「戦後」、とりわけ「戦後思潮」について書かれた論述を目にしながら、遅ればせながら自己点検のときをすごしてきた。
 そもそも「戦後民主主義」とは、いったい何だったのだろうか、と。

…………………………………………………………………………………………………

「戦後民主主義」とは、日本国憲法の国民主権・基本的人権・戦争放棄などの原理にてらして政治や生活をみる考えかたであり、「平和と民主主義」という言葉にまとめられる意識であった。それは、戦前の侵略戦争の加害者としての反省から敗戦後の貧しい生活体験にもとづく厭戦感情までふくんでいた。

…………………………………………………………………………………………………

 団塊世代の政治学者、加藤哲郎氏は「戦後民主主義」をこう規定する(『戦後意識の変貌』)。「戦後民主主義」を固定的、静止的にとらえれば、そのとおりかもしれぬが、どうもしっくりとこない。まるで他人事のようにしか感じられない。

…………………………………………………………………………………………………

 戦後思想とは、戦争体験の思想化であったと言っても過言ではない。戦後思想を語ることは、「『日本人』にとって戦争の記憶とは何であったか」を語ることと、ほとんど同義である。(略)
 ほんらいは多様で混沌としていた戦後思想に、「戦後民主主義」という一枚岩の総称が付され(略)、「戦後民主主義」といえば「近代主義」であり、「市民主義」であり「護憲」であるといったイメージが、一九六〇年代の「戦後民主主義」批判のなかで「発明」されてゆくことになる。

…………………………………………………………………………………………………

 加藤氏よりひとまわり若い気鋭の社会学者、小熊英二氏はこう指摘する(『<民主>と<愛国>――戦後日本のナショナリズムと公共性』)。
「戦後民主主義」に直接ふれているわけではないが、われら国民学校世代の演出家、鴨下信一氏は戦後の歴史認識について次のように語る。

…………………………………………………………………………………………………

 それにしても、人によってさまざまの戦争があり、戦後がある。そしてそれは、ひどく<不公平>なものだ。
 死んだ、死なないだけでも、まず不公平だ。戦争とそれに続く戦後のことを思い出すたびに、最初に浮かぶのは<不公平>という言葉だ。戦死した者、生き延びた者。家を焼かれた人、家が焼け残った人。闇で儲けた人、飢えに苦しんだ人。戦犯となった人、危うく逃れた人、そして後に復活して首相にも総裁にもなった人、そのまま消え去った人。早く復員出来た人、抑留され続けた人……。
 生き残った人間のこの罪悪感が靖国問題でもあり、戦後の歴史認識の問題でもあるような気がしてならない」(『誰も「戦後」を覚えていない』)

…………………………………………………………………………………………………

 そう、「戦後民主主義」は一枚岩ではなかったはず、もっと多様な内容をふくんでいたのだが、いつのまにか負のイメージで語られることの多い「進歩的文化人」や「護憲」のイメージでくくられるようになってしまい、そこから批判する側にも、受けとめる側にもさまざまなズレが生じてきたように思えてならない。

◆「わだつみ像」の破壊と戦後民主主義
 小熊氏はさらに次のように指摘する。

…………………………………………………………………………………………………

 高度成長が進むにつれて台頭したのが、「平和と民主主義」への批判だった。戦争を知らない世代にとって、「平和と民主主義」は、「近代的」な大衆社会を支える現状維持の論理とみなされるようになっていったのである。(略)
 若者たちは、「直感」によって、「平和と民主主義」の欺瞞を指摘した。しかし彼らの多くは、一九五五年以前には多様な憲法観や「平和」観が存在したことを知らなかった。……若かった彼らが「民主主義」や「進歩的文化人」のイメージを、多分に思いこみによって構成していた可能性は否定できないと思われる。いずれにせよこの時期から、敗戦後に存在したさまざまな思想潮流や改革を、一括して「戦後民主主義」と総称することが、急速に一般化していった(前掲、同書)。

…………………………………………………………………………………………………

 わたしの「戦後意識」の自覚は、十代で読んだ戦没学徒の遺稿や手記をあつめた『きけわだつみのこえ』にはじまる。
 その刊行でえられた利益をもとに「わだつみ会」は、本郷新氏に「わだつみ像」の彫刻を依頼する。像は東大に設置されるはずだったが東大評議会が拒否したため、のち立命館大に置かれることになった。しかし、その像は1969年、立命館大全共闘によって破壊され、のち再建される。
 戦没学徒たちの鎮魂と、戦争体験の継承をねがった「わだつみ像」の破壊は、わたしにはまったく理解できなかった。
 戦中派の歴史学者、色川大吉氏は、戦後の進歩派史学にたいして次のように批判している。

…………………………………………………………………………………………………

 日本人が太平洋戦争を語るとき、しばしば戦争否定の言葉のかげに、今なお秘められた感情として、民族的なものへの献身や勇敢だった戦死者たちへの熱い共感を湛えていることを見逃すことはできない。私はこの心情を内側から理解し、汲みえなかったこれまでの進歩的な史学の叙述は落第であったと思う(『ある昭和史』)。

…………………………………………………………………………………………………

 さらに戦後生まれの経済学者、佐伯啓思氏は次のように指摘する。

…………………………………………………………………………………………………

「昭和」とは、肯定的であれ否定的であれ、ともかくも「大東亜戦争」によって特徴づけられた時代です。「戦後」といういい方も、その言葉からして「あの戦争」を基準として生み出された時間意識なのです。(略)
 戦後民主主義や平和主義を理想とみなそうとする人々は、「あの戦争」を日本の誤った侵略戦争であり、それを阻止できなかった知識人の「悔恨の共同体」(丸山眞男)をもって「戦後の精神」の基盤にしようとした。
 一方、戦後民主主義や平和主義に対するいらだちを隠せない人々には、「あの戦争」で悲惨な死をとげた死者たちを正当に弔いもせずに繁栄を謳歌することへの負い目があった。いわば「疚しさの共同体」という意識です。そのどちらもが、「あの戦争」から出発していることは間違いないのです」(『日本の宿命』)。

…………………………………………………………………………………………………

「戦後民主主義」を代表する知識人とされる丸山眞男は、50年前に次のように書いている。

…………………………………………………………………………………………………

 最近の論議で私に気になるのは、意識的歪曲からと無智からとを問わず、戦後歴史過程の複雑な屈折や、個々の人々の多岐な歩み方を、粗雑な段階区分や「動向」の名でぬりつぶすたぐいの「戦後思想」論からして、いつの間にか、戦後についての、十分な吟味を欠いたイメージが沈澱し、新たな「戦後神話」が生れていることである。(略)
 こうした神話(たとえば戦後民主主義を「占領民主主義」の名において一括して「虚妄」とする言説)は、戦争と戦争直後の精神的空気を直接に経験しない世代の増加とともに、存外無批判的に受容される可能性がある(『現代政治の思想と行動』増補版「あとがき」)。

…………………………………………………………………………………………………

 半世紀前の丸山のこの予測は、「戦後民主主義」を批判する言説の行き先を言い当てていたという気がしてならない。丸山眞男は、「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』に賭ける」とつづけて書いているが、どうだろうか。