第八十三回 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」

三原 浩良

◆堀田善衛『明月記』を読む
「紅旗征戎わがことに非ず」とおもえど、昨年は〝戦後民主主義〟世代のわが身が傷つけられたように思われ、ことのほか腹ふくるること多き年でありました。

 今年のわが賀状の書きだし。年あらたまり、ますますその思いを強くする。
「紅旗征戎わがことに非ず」とは、平安の歌人・藤原定家がその漢文日記『明月記』に書きつけた一節である。
 かねてこの一節が気になっていたが、返り点もない難解なこの日記を読みくだすことなど手にあまる。そこで三十年前に刊行された堀田善衛の『定家明月記私抄』を、暮れから読みはじめた。
 先の一節の前には「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ」とあり、「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」とつづく。定家十九歳の日記である。
「世上乱逆追討耳ニ満ツ」とは、この年(治承四年、1180)、源頼政が平家追討の兵をあげたことを指し、やがて福原遷都、翌年には平清盛没し、三年後に平家滅亡する乱世のはじまりである。
 七六〇年後、「いつあの召集令状なるものが来て戦場へ引っ張り出されるかわからぬ不安の日々」に、『明月記』をはじめて手にした堀田は愕然とする。
「自分がはじめたわけでもない戦争によって、戦場でとり殺されるかもしれぬ時に、戦争などおれの知ったことか、とは、もとより言いたくても言えぬことであり、それは胸の張裂けるような思いを経験させたものであった」
 さらに堀田は、「あの戦争」の渦中にあるわが身を、定家に重ねて書く。
「自らが二流貴族として仕えている筈の朝廷自体も、またその朝廷が発起した軍事行動をも、両者ともに決然として否定し、それを、世の中に起っている乱逆追討の風聞は耳にうるさいほどであるが、いちいちこまかく書かない、と書き切っていることは、戦局の推移と、頻々として伝えられて来る小学校や中学校での同窓生の戦死の報が耳に満ちて、おのが生命の火をさえ目前に見るかと思っていた日々に」「絶望的なまでに当方にある覚悟を要求して来るほどのものであった」と。
 平和な時代に十九歳をやりすごしたわたしは、いまさらながらに、おそらく80年ほど前の堀田の心中に想いをはせるだけである。

◆「萬國至寶 傳芳九條」
 まったくの偶然なのだが、冷泉家文書の刊行・編集にたずさわっている友人からの賀状には『翻刻 明月記二』が昨年刊行され、「藤原定家が十九歳から七十四歳まで書き継いだ日記の翻刻出版も、余すところあと一巻となりました」とあった。
 賀状に添えられた写真には「戦争法案反対デモで」とあり、彼が背にかかげたと思われるゼッケンに「平和憲法 萬國至寶 傳芳九條 子ニ孫ニ」と大書された文字がみえる。
 デモのなかで彼の胸中に「紅旗征戎わがことに非ず」の一行が去来したかどうか。「デモに行ってSEALDsに元気をもらった一年でした」とあった。

 堀田と同世代の土山秀夫(元長崎大学学長、世界平和アピール七人委員会委員)の賀状には「この4月で91になります。体力の続く限り、安保法制の廃止を目指して頑張るつもりです。それが戦争体験者の務めでしょうから」とあった。
「紅旗征戎わがことに非ず」と思えども、徹しきれぬわたしは、沈香も焚かずデモにも行かず、今年もあれこれ思い悩む年になりそうである。