前山 光則
芥川龍之介の「或阿呆の一生」の冒頭に、主人公が書店の2階で西洋風の梯子はしごに登って本を探す場面が書かれている。やがて日が暮れて電灯がつき、下を見ると、店員や客が本の間に動いている。小さく見すぼらしい彼らを見下ろしながら、主人公は「人生は一行のボオドレエルに若しかない」と 呟くのだ。
久しぶりにこの場面を読んでみたが、「梯子か…、あの頃の書店って、天井がそんなに高かったのかな?」と梯子のことが気になった。これは東京のとても大きな書店での話だから、昔も今も変わりなく天井が高いし、梯子も設けられているか知れない。しかし、高齢化が進むこの時代、梯子を使って本探しをするのはちょっと危ないような気がする。
いや、こんなことが気にかかるのは、わたしも我が家の2階から屋根裏部屋へ登る際に梯子を利用しているからだ。本来なら、ここは物置だ。しかし本を読んだり書きものをする場所として最適の「隠れ家」なので、自分の部屋として使っている。家人からは、時々「今にツイラクするよ、知らんからネ」と警告を受ける。
よその家では、一度だけ、ある文芸評論家の書斎で梯子に遭遇した。小柄なその人は「ちょっと失礼」と梯子に取り付き、猿のごとく身軽にスイスイ登って行き、「あった、あった」と、目当ての本を首尾良く見つけたふうであった。その姿は、豆のように小さく見えた。蔵書のものすごい多さにも梯子の高さにも圧倒されてしまった。そして、実はこれは40年前の話。当時、評論家氏はまだご壮健であったから、梯子も平気で登り下りできたのだ。現在、氏は90歳前後であり、まさか今なお梯子を利用するなどということはあり得ない。
評論家氏宅の梯子は20段ほどの高さで聳えていたが、我が家のはたった8段しかない。仮に墜落してもたいしたことはなかろう、などとわたしは気休めに呟いてみるのである。
そんなわけで、梯子の上の屋根裏部屋からこんにちは! 折に触れて「本のある生活」を綴るので、どうぞご愛顧願います。
(2010年2月16日・火曜)