前山 光則
気の置けない友人二人から、「ちょっと宮崎県の五ヶ瀬町まで出かけるが、一緒に行く?」と誘われて、1月15日、くっついて行った。空はよく晴れて、風も吹かない。東京方面では積雪で交通に混乱が生じているとのニュースが流れる中、九州山脈のど真ん中は至って穏やかな日射しに照らされていた。
県境近くの岡にあるワイナリーのレストランで昼飯を済ませて、役場や郵便局や商店等がある町中心部へ入ってゆくと、そこらは谷底だ。道路脇の溝に氷が張っていて、やはりここまで来ると平地とは全然違う寒さである。役場で友人の用件が簡単に済んだ後、五ヶ瀬商店街を歩く。木造洋館建ての古い医院があったりしてレトロな雰囲気だが、はっきり言ってさびれている。ふっと種田山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」という句が浮かんだ。山頭火は、大正十五年、熊本近在の味取観音堂を去って放浪の旅に出る。この句は、6月の下旬に熊本県側の山都町から宮崎県の北方町滝下へと5日間かけて山脈の鞍部を越えて行く際に詠んだようである。当然五ヶ瀬町の中も歩いていることになるが、当時どんな雰囲気だったろうか。托鉢して米や小銭をいただきながら旅をした山頭火、山の中を歩く間は人家がないので報謝も貰えず、苦しかったに違いない。谷底のこの集落にたどり着くとホッとしたはずである。
大正末期の五ヶ瀬あたりは今より賑わっていたのかな、どうなのだろう、と考えながら歩いていたら、友人Y氏が一軒の店舗を覗きはじめた。店としての営業は止めているふうだが、しかし絵や人形、竹細工、手芸、書作品等が展示されている。もう一人の友人M氏も大いに興味を示し、入り込んでみたら家の人も出てきてくれて、上品なご婦人だ。町の人たちが作った物をみんなが観ることができるように、展示しているのだという。その中に、達筆で書かれた俳句が目に止まった。
春疾風ドラムのごとく尾根が鳴る 記香江
山間部に早春の風の吹き荒れるさまが捉えられていて、凄い迫力、ダイナミックだ。他に「もろもろの木霊も消えし年の暮れ」、谷間にこだまも聴くことができないとは、実にひっそりした年の暮なのである。山頭火とはまた違って、地元の人ならではの味わい深い句だ。ご婦人に訊ねたら、作者の記香江さんはこの家のおばあちゃんで、数年前に亡くなられたそうである。多趣味な方で、「しゃみもオルガンもうまかったですよー」とのこと。この谷間に住んで、三味線やオルガンが弾けて、俳句も詠んだのか。会いたかったなあ。
近くの肉屋さんにも寄ってみた。そこのホルモンは評判で、遠くからわざわざ買いに来る客が多いという。なんだか、この町も奥が深そうだ。とても親しく思えてきたのだった。