前山 光則
5月13日の夜、八代市日奈久温泉の多目的ホールひなぐ夢倉庫で俳優・佐々木梅治さんの読み語り「父と暮らせば」(作・井上ひさし)を観た。観客は約150人程だったが、立ち見客もいた。舞台には佐々木さんの他は誰も登場しない。右の隅っこに1本、造花の赤い曼珠沙華。道具立てはこれだけだ。
戦争が終わって3年目の広島に父と娘が暮らしている。といっても父親の竹造は実は3年前の原爆で死んでおり、いうなれば幽霊なのであるが、娘の美津江は別に不思議とも思わない。ただ、娘は自分が生きのびたことについて強い負い目を持っている。原爆にやられて目の前で父が焼け死んだ際に、「おまいは逃げい!」「いやじゃ」と父娘で押し問答した末、結局自分だけが死なずに済んだわけである。勤め先の図書館に来る木下という青年から好意以上のものを寄せられるものの、自分だけが幸せに浸るのは死んで行った人たちへ申し訳がたたないとの意識が邪魔して素直になれない。それでも木下は、彼の故郷・岩手へ美津江を連れて行き、親たちに引き合わせてやりたい、と誘う。美津江は断ろうとするのだが、それを知った竹造が懸命に娘を説得するという、ざっとそのような展開である。深刻になりそうな内容なのに、竹造の広島弁を駆使した説得はおもしろおかしく、何度も会場を笑わせる。そして、泣かせる。
最後、罪悪感に縛られていた娘は「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんが、おまいの仕事じゃろうが」と説得する竹造の熱意に動かされ、心がグイと前向きになる。生き残った者は死んで行った人たちへ負い目を持つだろうが、でも死者たちは決してそのような負の意識を喜ばないはずだ。自分たちの分もしっかり生ききってほしいに違いない、と、観ていて共感できる。
全部で約1時間20分、終了した時、拍手が会場全体に湧いた。会場が明るくなり、花束を受けた佐々木梅治さんが観客に挨拶をする。挨拶が終わっても、みんな動こうとしない。いいものを観て感動が深いものだから、立ち去るのがもったいないのだった。佐々木さんが「もう、どうぞ、用心してお帰りください」と告げたので、ようやく帰り始めた。
この「父と暮らせば」は台本そのものが優れており、作者・井上ひさしの非凡さにあらためて感心する。ただ、それだけに演じる人にちゃんとした技量が備わっていなければ秀作の感動も観客に伝わらない。佐々木さんは熱演した。まったく一人で、臨機応変、ある時は朗読し、ある時は本から離れて登場人物たちになりきってみせた。豊かな表現力を持ち合わせているからこそできる力技である。
会場の後片付けが終わってから打ち上げ会があったので参加した。佐々木さんはビールをグイとあおって、「ようやく体のほてりが治まってきたなあ」、さわやかな表情だった。