前山 光則
友人と一緒に、若山牧水のふるさと宮崎県日向市東郷町の坪谷へ日帰りで行ってきた。
3月26日、午前6時前に家を飛び出して車を走らせ、水上村で友人と合流。そこからは友人の運転で山越えしたが、宮崎県との県境・不土野(ふどの)峠の頂上で道路際に少し雪が残っているのには驚いた。空気もひどく冷たくて、それでいて下方の谷には山桜が咲いている。九州の脊梁部分を越えていくのだなあ、という実感がジンジン湧いてきた。
坪谷へ着いた時、午前11時過ぎだった。よく晴れて、ポカポカと良い陽気で、ソメイヨシノも山桜も満開。100点満点だな、と思った。さっそく牧水生家の裏手、西ノ内川の谷へ入る。ここの写真を撮りたかったのだ。「秋草の原」というエッセイで、牧水が、ここらは川沿いに灌木林があって、原をなし、原の中には小流れもあった、と書いている。原で木の実拾いや茸採りをするし、花を摘む。小流れではハヤやアブラメ等の小魚がよく釣れたので、1人で、時には母親と一緒に好んで遊んだ。牧水は幼い頃から山では杖銃を使って猟をすることすらあったし、家の前の坪谷川では父親と共に鮎釣りをする。大人顔負けの遊び方ができる子だったが、それよりも支流の西ノ内川で時を過ごすことの方が気分良かったわけである。牧水が書いているのは明治時代の思い出話だから、渓流の様相は変わり果てているものと思われる。でも、かまわない。あっちからパチリ、こっちからパチリと、場所を少しずつ移しながら撮って行く。
お昼には牧水公園の食堂で蕎麦を食べた。蕎麦粉100パーセントのおいしい麺を啜りながら、友人は「ここは水上村よりも、半日分だけ桜の開き具合が違うねえ」などと呟いた。半日分か……、観察が細かいので感心した。わたしはわたしで、6年前に事故死した江口司さん(弦書房刊『不知火海と琉球弧』著者)のことを考えていた。6年前の3月29日と30日、江口さんとわたしは一緒に坪谷へ来たし、『山里に生きる・川里に暮らす[東郷町民俗誌]』の担当の人と編集の打ち合わせも行なった。その際、江口さんはその本に載せるための山桜の写真を撮ったのだが、あいにくまだ七分程度しか咲いていなかった。その年はえらく遅れていたのだ。天候にも恵まれず、靄がかかった状態で、撮影しづらかった。それなのに、後になって撮影されたものを見ると、はっきりと、それも満開状態であるかのように映っていて、さすがであった。でも江口さん自身は納得していなかった。実に心残りだったろう。そして、日向市から帰った翌日、三角半島へ魚釣りに行って不覚にも転落死した。「江口さん、今日ならば撮影にもってこいの日バイ」と言いたくなった。
帰りは、飯干峠・湯山峠と越えるコースをたどって熊本県側へ出た。行きと同様、どちらの峠にも雪がわずかばかり残っていた。