第213回 山本橋駅跡へ行く

前山 光則

 1月10日、熊本市方面へ出たついでに植木町へも行ってみた。山鹿温泉鉄道の山本橋駅があった場所を確かめたかったのだ。
 放浪の俳人・種田山頭火は大正14年2月から15年4月まで植木町味取(みとり)の瑞泉寺観音堂で堂守として過ごしているが、あるとき友人の木村緑平に「ここへお出でになるには省線植木駅乗換、鹿本線山本橋駅下車、十丁ばかり、又植木駅から山鹿通ひの自動車で一里ばかり、御来遊をお待ちしてをります」と便りを書いている。この「鹿本線」が実は鹿本鉄道、後の山鹿温泉鉄道のことである。新潮旅ムックの『日本鉄道旅行地図帳12号九州沖縄』によると、大正6年に「鹿本鉄道」という名で開業し、植木駅から山鹿温泉までの20・3キロを運行していた。昭和27年になって「山鹿温泉鉄道」と改称する。赤字続きで昭和35年には運行を休止し、5年後、正式廃業となった。山頭火にとって身近だった山本橋駅ってどのあたりだったのかなと、以前から気になっていたわけである。
 瑞泉寺味取観音堂は現在の国道3号線に沿った小高い山にあり、鉄道は山の向こう側を通っていたに違いない。お寺の人に訊ねるつもりだったがあいにく不在で、山の裏側へ回って農家で聞いてみたところ「もっと下の方、今はサイクリングロードになってます」とのこと。県道3号線とサイクリングロードの交わるあたりに「山本橋駅」があったそうで、そこでまた車を走らせる。すぐにそれらしいところに差しかかり、角に煙草屋がある。同行したS氏が「ちょうど良かった」と煙草を買うべく店番のお爺ちゃんに声をかけたので、話がしやすくなった。すると「ああ、山本橋駅は隣りですばい」、お爺ちゃんが事もなげに言う。ここならば確かに瑞泉寺からおおよそ「十丁(十町)」、約1キロ余だろう。
 煙草屋の隣はもう建物も建て変わって久しいものの、敷地は昔通りの広さなのだという。ホームは、駅舎側にも向こう側にもあった。しかもレールは複線で、加えてもうちょっと植木駅寄りの方角から引き込み線も入ってきており、農産物等の積み出しに使われていたそうである。だから山本橋駅では都合3本のレールが並んでいたことになり、それならば結構盛んに人の動きがあった駅なのではなかろうか。山鹿温泉鉄道は、経費節減のため普通の気動車の他にバスを改造した車両も走らせたそうだから面白い。それと、私鉄とはいえ植木駅で国鉄鹿児島本線へ乗り入れていて、乗客たちは熊本駅まで乗り換えなしでの行き来もできたという。結構便利だったのだ。
 現在サイクリングロードになっている線路跡に立つと、気動車やバス改造車の行き来する姿、物音、乗り降りする人々の声が頭の中で湧き上がる。山頭火もこの駅を利用したろうが、どんな顔つきで乗り降りしたろうか。想像が膨らんできて、しばらくは佇んでいた。
 
 
 
写真①山本橋駅跡

▲山本橋駅跡。画面こちらが植木駅方面、向こうの方が山鹿方面である。レール2本をはさんで左側が駅舎跡。ホームは両方にあった。引き込み線は右側、藤棚の見える後方へ入ってきていたという

写真②JR植木駅

▲JR植木駅。町から離れた小駅ながら、駅員さんがいる。山鹿温泉鉄道の植木駅はこの駅舎の左手の方にあったそうだ。そして植木駅と次の長浦植木町駅との間はゆるやかな坂になっていたという