前山 光則
今、燕の多い季節だ。「町空のつばくらめのみ新しや」——あちこち燕が飛ぶのを見ていたら、中村草田男のこの句を思い出した。
今日の燕は高く舞う。このあいだBS3の人気番組「心旅」で、俳優の火野正平が、燕が高々と飛ぶのを見て「今はまだ雨だけど、そのうち晴れるよ。燕が高く飛んでるからな」と語っていた。逆に、地面すれすれに飛ぶ場合は天気の落ちてくる兆候だそうである。へえ、そんなもんなのかねえ。にわかには信じがたかったが、しかし確かに今日は天気が好いのだから、火野説は正しいのかも知れない。
そういえば、近頃は雀が少なくなってきているのだそうで、これは巣をかけやすい造りの家が減ってきたためらしい。確かに雀が減ったと思う。でも燕たちも雀同様に人家の軒先や梁等に巣作りをするが、相変わらずたくさん見かける。むしろ一昔前よりも増えた気さえするが、わたしだけの思い込みだろうか。無論、渡り鳥だから年中居るわけでなく、去年は3月16日に「初燕」を見た。今年は3月25日。だいたいその頃に八代市あたりには南から渡ってきているようだ。「つばくらめのみ新しや」というのは、こうした初燕を見かけた時の印象を言っているのだろうか。
燕は傍若無人で、街を歩いていると目の前をサーッと掠めていく。アッと気づいた時にはすでに上の方へ飛び上がっており、挨拶ぐらいしろよと文句言いたいくらいだ。こんなふうで人間様を怖れないから、人家の軒や梁等に遠慮なく住まいを構えるわけだ。知り合いの老舗旅館では、毎年、帳場の前の天井に燕の巣がいくつか出来る慣わしになっている。その巣をかなり近寄って観察を始めても、燕たちは別段嫌がるふうでない。多分、毎年、同じ燕家族が来るのだ。旅館の人の話では、彼らはもっと奥の上がり框(かまち)の上のあたりにも巣作りしたがるのだそうで、それだけは遠慮してもらっているという。「やはり限度ちゅうものを、設けんばですな」、女将さんはそう言う。長野県の渋温泉では、旅館や土産物店はいつもキッチリ玄関の戸を閉めてあって、そうしないことには山猿が入り込んで悪さをするのだそうだ。それに比べたら、燕は人に害を与えないから良い。ただ、糞を垂れるから、それは困るので「限度」というものが必要となってくるわけである。
いや、燕を入れてくれない店もある。わが家の近くのマーケットの正面ガラス戸には「ツバメが入ってきますので、あとぜきしてください」と大書した紙が貼り付けてあった。「あとぜき」、戸を開けた後にまたちゃんと閉めることを意味するが、これは地元の人間なら分かるけど、よそからの人には通じないよなあ。ついついクスクスと笑ってしまった。
なんにしても、燕が飛び交うのは好きだ。「つばくらめのみ新しや」、そう、平々凡々たる日常に新風が吹くような気持ちになることができる。なにせ燕は旅する鳥だからなあ。