前山 光則
何日前だったか、お昼少し前のことである。
たまたま家の裏手の川土手へ出て、船着き場を眺めながらしばらく秋風に吹かれていた。いや、ほんと、吹く風が実に柔らかいのである。良い気分で立っていたのだが、そんなところへ上流の方から聴き慣れた爆音が響いて単車がやってきた。これに乗っかっていたのはわが家の近くに住むI氏で、単車をバリバリ吹かしながら何やら大声で喚く。船着き場の船の上や電線、あるいは地べたに下りて何やらあさっていたカラスどもが、いっせいに飛びたった。I氏は町内会の役員さんである。なんでそんなことをやっているかと言えば、カラスどもが船着き場で餌を食い散らかしたり、何カ所かの指定されたごみ捨て場を荒らしたりする。だから日に何度も単車を乗り回し、大声上げて彼らを威嚇し、追い散らすのである。I氏は船着き場を何度も大回りして喚いた後、次の場所へと去って行った。
そこへ現れたのが、わが家の2軒先に住むベテラン美容師のMさんで、ビニール袋を小脇に抱えている。すると、あちこちから大きな猫や小さな猫、黒い猫や毛並みの良い猫等、7、8匹集まってきた。彼らはこの時間帯にMさんが餌を抱えてやってくるのを知っているわけだ。だから、呼びかけもしないうちに集まってくる。「だいぶん居りますね」と挨拶代わりに声をかけたら、「まだまだ、今来とるのは3分の1にもならんぐらいよ」とのこと。Mさんのあげる餌に寄ってくるのはその程度の勢力であって、後の猫たちには「朝は年寄りの爺ちゃんが持ってくるし、夕方に若い兄ちゃんが御飯を抱えてくる」のだそうだ。つまり船着き場にいる野良猫の数はおおよそ30匹前後で、それらが爺ちゃん・兄ちゃん・Mさんの持ってきてくれるそれぞれの餌を当てにして日々を過ごしているらしい。
さっきI氏に追い払われたばかりのカラスどもが、また船着き場へ戻ってきていた。あの追い散らし作戦は、さほど効果がなかったようだ。彼らは、Mさんやわたしなどが去ればじきに猫たちの餌の残りも狙って寄ってくるだろうな、と思った。そのようなカラスどもの様子を眺めながら、Mさんが「また後で、Iさんがカラスを追っ払いにやってくるよ」と言って笑みを見せた。そしてまた、Mさんによれば「この頃、子猫がなかなか育たんのよ」とのことだ。原因はカラスで、彼らは子猫が遊んでいるところを狙って襲いかかる。サッと捕らえて舞い上がり、「カラスは横着でね、親の方には襲いかからん。弱い子猫をひっつかまえてね、これが、決して船着き場では食わん」とMさんは言う。「エッ、そんならどこに持って行くとですか」と訊いたら、「それは、山へ運んで行くとよ。山で待っとる自分たちの子どもに食べさせてやるはず」というのがMさんの推測だ。わたしは半信半疑だったが、Mさんは「そうするに決まっとる」と確信している。そして、改まった口調になった。「でもね、子猫を狙うのは卑怯ばってん、カラスも自分たちの子を養わねばならんとよ」。ほほお、うーむ……。で、さらにMさんは、「カラスは、責められん。この世で一番ひどかとはわれわれ人間ですよ。何でんかんでん捕って、殺して、食うてしまうとだから」と、実にしみじみした顔で呟いた。
いや、参った。確かに、この地球で最もあくどい勢力は人間族なのだろうな。深く頷かざるを得なかった。なんだか、秋風がピタリと止まってしまったような気分であった。