第393回 ラジオで喋る時は

前山光則

 先日、東京在住の親しい人から便りが届いたのだが、文面の中に「前山さんは、ラジオでどんなことをしゃべっているのですか」とあった。言われてみて、ああそうか、自分は遠くに住んでいる知り合いに地元ラジオ局との関係はチラ、チラと断片的に伝えたことはある。この連載コラムでも、何度か少しは触れている。だが、今まで詳しく語ったことはなかったのだよなあ、と気づいた。 
 実は、平成20年(2008)4月24日から地元のコミュニティ放送局エフエムやつしろ(愛称かっぱエフエム)の昼の番組「かっぱのoh!ちゃちゃ」に、毎月2回の割合で出演している。エフエムやつしろはコミュニティ放送局であるから、地震や水害、台風といった災害時の情報発信には重要な役割を担う。災害時以外でも、家族内の誰かが行方不明になったり、犬・猫等のペットがいなくなって飼い主が困っている時等には放送で呼びかけて手助けをしている。こうして、市民の暮らしには大いに役立っているのである。
 さて、そのエフエムやつしろの「かっぱのoh!ちゃちゃ」であるが、毎週月曜~金曜の午後1時から2時45分までの番組だ。この番組でのわたしの役割は、「コメンテーター」。毎回、色んな人がコメンテーターとして出演しており、わたしはその中の一人である。現在、第二・第四水曜日がわたしの出番だ。前田美紀さんというたいへん気の利いたアナウンサーが主導してくれて、「行ってきました」「かぶんさんの小部屋」「コミセン情報」「世相を読む」「うまいもの」「今日の一句」といった項目に沿ってお喋りをする。
 「行ってきました」は、あちこちへ出かけた際にどのようなものを見聞きしてきたか、レポートする、という趣向だ。旅行や取材に行った折りの様子、こぼれ話、ふるさと人吉へしばしば出かけるので、そんな時の土産話も語る。時には、美術展や各種イベントを観に出かけた時の様子や感想もレポートする。
 「かぶんさんの小部屋」では、文学鑑賞をする。最初は有名な文学作品の内容について、あらましを語っていたが、この頃では色んな詩人や歌人等の作品を実際に朗読しながら解説することが主となっている。現在やっているのは、『石牟礼道子全歌集』(弦書房)である。この本の中から毎回1首抜き出して、歌の意味や背景を読み解くのである。石牟礼文学の出発点には短歌があるから、この全歌集を読み辿って行けばずいぶんと見えてくるものがある。しばらくは、そう、たぶんまだあと1年ほどは続けるつもりだ。
 ちなみに、わたしは「かっぱのoh!ちゃちゃ」の中で「前山光則」との本名では登場しない。アナウンサーからはいつも「かぶんさん」と呼んでもらうことにしている。この語源は、すなわち「仮分数」。小学5年生の時、算数の授業で「仮分数」「真分数」のことを教わった。仮分数とは、つまり分母よりも分子の方が大きい、だから「頭デッカチ」のことだ、と先生が説明した途端、クラスの皆がわたしの方をふり向いて、
「おう、そんなら前山は仮分数ばい、そぎゃんよなあ、ワーイ、かぶんすう!」
 と大笑いになった。当時すでにわたしの頭のサイズは59センチ、小学生としてはデカすぎた。以来、頭デッカチのわたしには仮分数という語がついてまわることとなった。ただ、そのまま「かぶんすう」と呼ぶのではかわいそーと思ったか、友達連中は「すう」を省き、代わりに「さん」をつけて「かぶんさん」、以後これがわたしにずっとつきまとうニックネームとなった。
 そう、ラジオ番組の中でも、この少年時代以来のニックネームで呼んでもらっているのである。そんなわけで、「かぶんさんの小部屋」。小林旭の往年のヒット曲の題名を借りれば、「昔の名前で出ています」である。
 「コミセン情報」は、各町内のコミュニティセンター(なんということはない、公民館のこと)と放送局をつないで、コミセンの方や町内会長さんたちに最近の活動状況を語ってもらう。これについては、アナウンサーの前田美紀さんがじゃんじゃん先方とやりとりしてくれるので、わたしは楽だ。「世相を読む」や「うまいもの」は、説明するまでもなかろう。要するに、最近の世の中の動きについて一言二言コメントする時間帯であるし、近ごろ食べたものの中からおいしかったものを紹介するわけだ。うまいものといっても、金のかかる食べ物ではない。出かけた町の菓子店で見つけたおはぎがたいへんうまかったとか、どこそこのラーメンはなかなかのものだ、とかいった程度の話題だ。
 番組の最後に設けてある「今日の一句」では、俳句を紹介することにしている。実は、最初この番組への出演をするにあたっては、ラジオを聴く人たちに向けて教訓となるような格言・名言を紹介してやってくれ、とのことだった。これには、「いや、そんなことは勘弁してくれ」と、はっきり断わった。かしこまった話題は絶対にイヤであった。それよりも、日々の暮らしの中にしみ入っていくようなものが良いので、色んなところから味わいのある俳句を見つけ出してきて、紹介するようにした次第。第1回の放送の時に揚げた句は、小林一茶の、

 ゆさゆさと春が行くぞよのべの草

 であった。去る8月25日(水曜)は出演第300回目となったのだが、この時はわがふるさと人吉が生んだ蒔絵作家にして優れた俳人であった上村占魚(せんぎょ)氏の、

 武蔵野の秋は白雲よりととのふ

 であった。おおむね、その時その折りの季節感がよく出ている句を紹介できているであろう、と自分では思っている。
 結構反響がある。番組の途中で、今し方喋った話題についての反響が「うん,同感だ」「わたしもあそこのラーメンは好き」等とメールや電話で寄せられてくる。いつだったか、肉桂つまりニッケは上品に言えばシナモンであるが、自分らはああいうものは店屋で買ったりしなかった。肉桂の木が近所にあったので、みんなで根っこを掘って、洗って、囓っていた。あんまり掘りまくるので、その家の親爺さんからひどく叱られた、などと幼少年時の思い出を語ったところ、番組終了時にはどこからかホンモノの肉桂の根がすぐその場でガジガジできるように洗った上で届けられていたこともあった。この時は、泣きたいほど嬉しかった。
 エフエムやつしろは小さな放送局だから、電波の届く範囲は限られている。従って、同じ八代市内であっても山間部の泉町すなわちかつての泉村とか五家荘では、山々に遮られて駄目である。不知火海を隔てた天草の方には、障害物がないので電波が届くそうだ。
 しかし、パソコンがあれば大丈夫である。インターネットで「エフエムやつしろ」を検索し、ホームページを開いてみれば、聴き方の要領を教えてくれる。「サイマルラジオ」の方からも入ることができる。だから、遠くに居住する人たちもその気があればエフエムやつしろを愉しめるわけで、かっぱのoh!ちゃちゃにもしばしばあちこちから反響が寄せられて来る。一番の常連は、神奈川県座間市に住む八代出身の主婦「座間のマザー」さんだ。いつもしっかり聴いてくださっている。
 最初番組への出演を依頼された時、ラジオはテレビと比べて顔が映らないから気楽で良い、しかも、ラジオを聴く人はあまりいないだろう、と高を括っていた。しかし、実際は違った。町へ買いものに出て、支払いをする時や食堂で料理を注文する時など、店の人や客席に座っている人からジーッと見つめられ、「あんた、かぶんさん、でしょ?」と言われてしまうことが時々ある。どうして正体がバレるのかと言えば、相手はわたしの姿を見たことはない、しかし、「しゃべり方が、人吉訛りだもん、すぐに分かる」そうなのである。わたしは、アナウンサーではない。だから気さくに喋っているのだが、生まれ育った人吉での方言や訛りがもろに電波に乗ってしまっているわけだ。
 そして、ラジオを聴く人の多さには感心してしまう。しかも、働いている人たち。トマト農家の人たちが、ハウスの中で耳を傾けていたり、自動車整備士の人が車をいじりながら聴いていたり、海の上で漁師さんが船を操りつつラジオのスイッチを入れてくれる。あるいは、奥様たちが台所に立ってかっぱのoh!ちゃちゃを愉しんでいる、独り暮らしの婆ちゃんが茶の間で聴いてくれる……、そんなことが徐々に分かって来て、いや、これは責任重大であるゾと、回を追うごとに気が引き締まる思いになって行ったのだった。
 こうしたあちこちからの声には実に力づけられ、頑張らなくちゃ、との思いになる。 
 なお、エフエムやつしろは、年に4回「かじゅめる」というタウン誌を発行している。色んな人が執筆しているが、わたしもかっぱのoh!ちゃちゃに出ている関係で「いい句見つけた」という題のエッセイ連載を続けている。毎回、古今の秀句を紹介し、解説するという趣向である。今年の秋の号(第86号)で第53回目だったが、野見山朱鳥の句、

 阿蘇山頂がらんどうなり秋の風
 
 を話題に取り上げた。 
 最初触れたように、平成20年4月から「かぶんさん」はラジオで喋らせてもらっているのだが、つまり教員を定年退職してすぐに声がかかった。それ以来ずっと13年余、思えばこれをやらせてもらっていなかったら、自分はアッという間にボケてしまっていたかも知れない。最初に声をかけてくれたのは、当時エフエムやつしろのアナウンサーだった立迫(現姓、楠原)なぎささんだった。そして、番組の相手役、前田美紀さん。聡明なこの2人は、いつも、ボーッとしているわたしの尻を叩いて励ましてくれる。ありがたいことだ、と感謝するばかりである。
 
 
 

▲柿が鈴生り 今年は柿の当たり年なのか、あちこちでよく実っている。鈴生りで、熟れて、いかにもうまそうだ。