第414回 眠れぬ夜を過ごすには

前山光則

 若い頃はよく眠れていたのになあ、と思う。 なにしろ、8時間でも9時間でもスヤスヤ、グーグーだったし、目が覚めてもなおまだ寝たりない感じの時も結構あった。逆に、ちっとも眠らずに徹夜しても、翌日平気で色んなことをやっていた。
 要するに、若かったのだ。
 今はまったく違う。日頃、午後10時半をメドに寝床に入ることにしているが、熟睡するのはおおよそ2、3時間であろうか。日付けが変わって午前1時から2時頃には目が覚めて、トイレに行く。その後が、なかなか眠れないのである。仕方ないから、いつも枕元にラジオを置いて、NHK第一放送を聴くのが習慣化している。その時間帯は懐メロやポップスが流れたり、あるいは名作の朗読、知名人の談話やらが放送されたりとか、色々である。音を低くして聴くようにしており、聴いているうちにトロトロと寝入ることもある。寝入ったのか、そうでなかったのか、ちっとも分からないことも多い。はっきり目覚めたまま、ということも結構ある。
 そうして、午前4時になると、もう寝床にいるのには耐えられない。
 実は、午後10時半頃に就寝とはいえ、実はこの数年来、夕食を済ませてからテレビを観て過ごす間、うたた寝せずに居られた試しがない。画面にあまり興味の湧かぬ映像が流れる場合はいうまでもないことだし、「鶴瓶の家族に乾杯」や「プレバト」「チコちゃんに叱られる」「ブラタモリ」などといった気に入りの番組を観ていてさえ、知らぬ間にウツラウツラ、である。ハッと気づいた時には、すでに画面はまったく別の番組になってしまっている。こうしたうたた寝が、近年やたらと増えてきたので、ほんとに自分は1日に何時間眠っていることになるか、ちっとも分からない状態だ。
 ある友人は、
「それはな、あんた、もうすっかり年寄りになってしもうたということだよ。しかたのないことバイ」
 慰め気味に意見してくれる。睡眠というものも、体力あればこそ充分にできるのであって、若い内はそれが可能だ。しかし、年老いて体力が落ちてくると、睡眠の持続が利かなくなる。だから、眠りが浅かったり、長続きしなかったりになる、昼でもすぐにウトウトしてしまう――友人によれば、そういうことなのだそうだ。
 そう説かれても、気持ちは落ち着かなかった。とにかく、夜なか眠れないで、寝床の中で深夜放送を聴いている状態。たまに良い歌が流れたり、話が面白かったりすれば聴き入って時間を忘れることができるが、そうでない時は退屈で仕方がない。退屈だけでなく、イライラしてしまう。余計ないろいろのことを考えはじめて、なんだか不安な気持ちになってしまうこともしばしばであった。
 ところが、寒の入りの頃であったろうか。例によって、午前2時過ぎ、トイレに立った。トイレの窓から風が吹き入り、ひどく寒い寒い。身の縮まる思いであった。小用を済ませて寝床に入り直したが、その時にふと閃いたのであった。
「こんなとき、布団の中は、ありがたいなあ」
 ――とにかく、外に出れば寒いどころの話でなく、トイレに立っただけでひどく身が竦んでしまったのだ。寒がりのわたしとしては、たいへん切ない状態で小用を終えて寝床に戻った。そして、布団を被った今の状態、ヌクヌクとして、実に安心するのだった。
 寒さの厳しい真冬、こうしてヌクヌクできているというのは、実は心から感謝すべきことなのではないだろうか。夜なか充分に眠れずにイライラしてきたが、俺って、何を無い物ねだりしているのだろう。そう、寒さにさらされずに過ごせていることは、ありがたいことなのだなあ。
 布団の中で、なんだか、我ながらたいへん殊勝な気持ちになったのであった。そうである。夜なかに眠れなくとも、それが何であろう。布団の外で寒さに震えるような思いをしなくて済んでいる、それはいかに尊くありがたいことであるか。焦ったり恨めしく思ったりするのはもってのほか、むしろ平穏無事の日々を送ることができていることについて、感謝の気持ちであらねばいけないのではなかろうか。
 なんだか、殊勝というか悟りの境地に達し得たというか、捉え直しができたのであった。
 とはいえ、3月の半ば頃だったが、例によって夜なか目が冴えてしまったのでラジオのスイッチを入れた。すると、なんだかいつもと違う。年配の男のかしこまった声が延々と続く。なんと、NHK会長が国会で議員の質問に答えて、答弁をしているのであった。四角四面のしゃべり方で、しかもいつまでも終わらない。聴いていて、次第に腹が立ってきた。こういうのを、なんで夜なかに流さなくてはいけないのだ。深夜の放送は、夜中やむを得ず働いている人たちとか、わたしたち眠れずに悶えている者たちのために、心安らぐ時間を作ってやるためにあるのではないか。いや、絶対そうあってほしい。NHK会長の四角四面な答弁なんか止してくれ、と怒鳴りたかった。だから、ますます目が冴えてきて、困ってしまった。
 いや、ほんとはこのような時も「こうしてヌクヌクできているというのは、実は心から感謝すべきことなのではないだろうか」との思いで大人しく聴いているべきなのか。うーむ、まだまだ修行が足りないから、つまりは到底まだ悟りの境地に達しきれていないのであろうか。
 
 

▲公園の桜 次々に咲き始めたさくら。しかし、小雨が降るので、見ていて心配だ。どうか、雨よ、止んでくれ。