11月18日(月曜)、博多場所つまり九州場所を観に行った。この連載コラム第426回「11月26日、福岡国際センターにて」でレポートしておいたように、去年は千秋楽を楽しんだのだったが、今回観戦したのは9日目である。
朝、新八代駅から友人K氏と一緒に新幹線に乗り込んで、福岡へと向かった。そして、会場の福岡国際センターに着いたのが午前11時前頃だったろうか。会場前に、力士名等を刷り込んだ幟旗(のぼりばた)が数多く立てられている。すぐ裏の博多湾から吹いてくる海風に吹かれて、その多くの幟旗が翩翻(へんぽん)とはためく。毎度のことながら、もう、これを目にするだけでウキウキして、気分がグーンと盛り上がる。いや、ほんとにそうなのだ。
すぐにでも会場内に入りたいのをグッと我慢して、福岡に住む娘とその知り合い2人が到着するのをしばらく待った。そして、会場内に入ったのが、12時ちょっと前であったろうか。
前もって娘がチケットを手に入れてくれており、「4人マスB席」に陣取ることができた。この席は、西方の9列19番という位置にあり、行ってみたらわりと近くに土俵を見下ろすことができて、うん、これは実に良いぞ、と思った。K氏、娘の友人Mさん、そして娘とわたし、この4人で観戦したのだった。
会場内では、三段目の取り組みが半ばを過ぎた頃合いであった。だから、まだ観客の数はパランパランである。はっきり言ってやや寂しいわけだが、しかし、持ち込んだ弁当をつついたり、おやつを食べたり、ビールを飲んだりしながら観戦すれば愉しい。
そして、観客は徐々に増えてきた。
今まで何度か九州場所を観たわけだが、今回初めて気づいたことがある。それは、行司さんたちのことだ。三段目を担当する行司さんは、一人で5番か6番ぐらいを務めるようである。これが、幕下あたりになると4番ほどだ。そして「是より十枚目」すなわち十両の取り組みについては、一人二番を受け持つようだ。さらに「中入り」つまり幕内も、二番ずつ。行司としてこの日最後に務めたのは式守伊之助だが、東大関・琴櫻と西前頭四枚目・欧勝馬(おうしょうま)戦、そして結びの一番、西の大関・大の里と東関脇・若元春戦を取り仕切った。こういうのは、家の中にいてテレビで観戦するだけではなかなか気づかないな、と思った。
観ていて、熊本県出身の力士が出てくると、これはもう大声出して応援してやりたくなる。三段目では、熊本市出身の肥後ノ海が栃登と対戦した。芦北出身の大海(たいよう)は若錦翔(わかきんしょう)と対戦。「肥後ノ海!」「大海!」と声を限りに声援を送ったのだが、残念、相次いで敗れてしまった。
声援といえば、一緒に行った友人K氏は堂々たるものである。単に「肥後ノ海!」「大海!」だけでも声に迫力があるのだが、さらに「魂入れてぶつかれ!」「よし、行け、行け」と張り上げる。その声が大きいし、気合いが入っている。彼が大声を上げると、あたりの観客が彼の方を振り返り、ドッと沸き立つのだった。これに比べて、わたしなどは、K氏に負けぬつもりで「「肥後ノ海! 頑張れ!」「大海! 押せ押せ!」と声を張り上げるのだが、どうも彼のような迫力ある声援にならない。
考えてみると、彼は芦北町生まれの人間である。あそこは諏訪神社に立派な土俵が昔からあり、相撲の盛んな土地柄である。小さい頃から祭りの時などの奉納相撲を観て育っているから、どうも、力士への声援をするのにも年季が入っているのではないだろうか。
無論、声援は館内のあちこちから起こる。まだ空席が目立つのに、気合いのこもった声が発せられるのだ。やはり、早くから会場に来て格下の取的たちの相撲を観ようという人たちは、根っからの相撲好きだと言って良い。
そう言えば、昨年は駅前から会場まで向かうバスの中で、風栄大という若手が乗っていて、話しかけてみたのであった。彼は埼玉県川越市出身で、あの時は三段目の西40枚目だということだった。あれから1年、どこまで昇進しているだろうか。今日は土俵には現れるだろうか、と、期待していたのだったが、15日間のうち幕下以下は7番しか相撲は取らない。あいにく18日には登場しなかった。後で調べてみたら、彼は、現在、まだ東三段目21枚である。18日の時点で2勝2敗。現在21歳とのことだから、これからも頑張って、まだもっと上を目指してほしい。
おやつを摘まみながら、迫力ないながらも声援を送りながら、この館内の雰囲気がなんとも言えず良いんだよな、としみじみ思った。
いや、ほんと、そうではないだろうか。単純に相撲の勝ち負けだけならば、家に居てテレビ観戦をしていれば充分であろう。もっと簡単には、翌日の新聞にかならず大相撲の結果は載ってくる。だが、K氏の気合い充分の声援であたりが大いに盛り上がる状況などは、家庭でテレビ観戦しているだけでは絶対に味わえないのだ。テレビの前で声援を送っても、サマにならぬこと甚だしい。矢張り実際に会場に来て、大勢で土俵を見守る中でこそ初めて出現する声援であり、反応である。
それに、途中でトイレに立ったり、売店に買い物しに行ったりすると、通路や店のあるあたりで力士たちとか呼出しとか行司を見かける。親方衆も結構あちこちにいて、これは雑務を担当しているのだろうか。髷を結っていないのですぐには気づかないことも多いが、よくよく見ればかつて土俵上で活躍した懐かしい顔だったりする。そう、こういうものもまた家庭のテレビ観戦では絶対に出会えない、会場に実際来てみないと味わえないのである。
トイレで用を済ませてから席の方へ戻る時、K氏の迫力ある声がまた響いた。
「靏林! 頑張れ!」
これでまた、あたりが盛り上がった。熊本県阿蘇出身の幕下力士・靏林が北播磨を相手に奮戦していたのだった。結果は、残念ながら敗れた。北播磨は、かつて幕内で相撲を取った実力者である。怪我して以来、下位の方で苦労が続いているのだが、それでも相撲の取り方は上手い。靏林はものの見事に転がされてしまったのであった。
幕下では、宇土市出身の草野が羽出山(はつやま)という力士に勝った。いや、良かった、良かった。わざわざ新幹線に乗って観戦しに来たのである、熊本県出身者が勝つと他愛なく嬉しくなってしまう。
取り組みが十両、幕の内というふうに進んで行くうちに、館内は満員御礼状態となった。やはり相撲ファンは多いのだ。
取り組みが進んで、十両2番目には熊本市出身の藤青雲(ふじせいうん)が登場したが、残念、欧勝海(おうしょううみ)にはたきこみされてしまった。5勝4敗となったわけだが、あとまだ6日間、ぜひ勝ち込んでほしいものだ。
幕内に入って、熊本市出身の佐田の海は尊富士にはたきこみで、そして元大関の正代も若隆景に寄り切られてしまった。せっかくわざわざ八代から新幹線で観に行き、声を限りに声援を送ったのだったが、どうもこの日の熊本県出身力士は奮わなかった。
結びの一番は、大関の大の里が若元春に寄りきりで勝った。この力士は、そのうち横綱まで上がれるのではないだろうか。
相撲見物が終わってから福岡の繁華街へ出て食事をしたが、娘たちが予約してくれていたのは河豚料理の店であった。いや、実にうまかった。河豚をおいしく食しつつ、なんだか相撲にはこの魚は似合うゾ、と思った。
九州場所が終わってほどなく経った頃、芦北町には例年尾上部屋が1週間ほど合宿にやってくる。これも見物に行きたいものである。
それから、後で知ったことだが、土俵下のたまり席では92歳になる俳優の大村崑が観戦していたのだそうだ。次の日も来ていたという話であり、この人は相撲見物が真から好きなのではないだろうか。そして、その姿は、わたしたちのいた場所からは気づくことができなかった。むしろ、テレビの方が映りやすいのであろう。高齢なのに、元気良いなあ。感心する。
今朝の新聞を見たら、風栄大は、残り2戦をがんばって4勝3敗と勝ち越したようだ。藤青雲はその後2連勝して、7勝4敗、ぜひ勝ち越してほしい。
2024・11・21