第9回 諫早への小旅行

前山 光則

 5月下旬、長崎県の諫早市に2泊してきた。諫早湾の奥まったところ、小高い丘陵に囲まれるようにして町があり、真ん中を本明川が流れている。干拓事業のため湾が潮受け堤防で締め切られてしまう以前は、この川にも潮が上がってきていたのだという。町の中を歩いてみると、古い建物と新しいものとがうまく共存し、しかも町全体に清潔感がある。こじんまりまとまっており、歩いていて実に気持が落ち着く。良い町だな、と思う。
 5月30日には、この町に住んで活躍していた作家・野呂邦暢氏を追慕する催し「第30回菖蒲忌」と「野呂邦暢没後30周年記念出版祝賀会」に参加した。菖蒲忌は、諫早上山公園の野呂邦暢文学碑の前に数え切れない大勢の人たちが集まったのでビックリした。地元の高校生たちが司会進行を務めて、作品の朗読もするのにはジーンときた。参加者全員で諫早菖蒲を献花するのだが、それをさらに帰りには数本ずつお土産として持たせて下さるのにも感心した。野呂文学はこのようにして地元で大切に顕彰されているのだ。

諫早菖蒲

▲諫早菖蒲

今日は、諫早への小旅行を振り返りながら、最近出版された野呂邦暢随筆選『夕暮の緑の光』(みすず書房)を読んでいる。その中の1編「モクセイ地図」によると、氏は頭の中に町歩きのための自分だけの〈モクセイ地図〉とか〈水神地図〉などと称するものをこしらえていたそうだ。散歩する時の楽しみ方が偲ばれるのだが、その1つ〈水神地図〉について、こう書いている。

 魚をわきにかかえた稚拙な石像が旧市街の路傍に見受けられる。花や菓子がそなえられているのを見ることもある。赤い布で前掛けをしている水神もある。もっとも皆が皆、手あつく祭られているわけではなくて、数多いなかにはうち捨てられてかえりみられない石像もありはする。

 やあ、これならば町を歩いてていくつか目にしたゾ、と嬉しくなった。野呂氏の住んでいた近く、水門の傍らにあった小さな水神様は赤い前掛けをしておられた。白百合が2、3本供えてあった。作家はきっとあの水神様とも親しかったはず、などと考えたりしていると、ああ、また諫早に行きたくなった。
(2010年6月4日)