第26回 渡し舟に揺られて

前山 光則

 めっきり寒くなってきた。今回からは、比較的暖かい屋根裏部屋で書くことにする。
 先日、午後から自分の車に友人を乗せて球磨川(くまがわ)沿いの国道219号線を走った。上流の人吉市まで行ったのだが、八代市中心部から球磨川の谷に入って30分ほどの球磨村楮木(かじき)というところを走っていたら、道ばたに見覚えのあるお爺ちゃんが歩いているのが見えた。渡し舟の船頭さんだ!つるつるした頭にタオルで鉢巻きをしている。お爺ちゃんの横を通り過ぎてから、どうしても舟に乗りたくなった。今時なかなか手漕ぎの渡し舟には乗れないし、まして球磨川筋ではここだけである。友人を、「な、そうしよう!」と強引に納得させてUターン。対岸まで渡してもらうこととなった。
 舟が岸を離れてからお爺ちゃんにお歳を訊ねると、「84歳になりますばい」とおっしゃる。そんな御高齢だとは思っていなかった。顔色は良いし、腰もシャキッとしていて、第一、櫓(ろ)の漕ぎ方に淀みがない。

▲船着き場。船着き場は右岸にあって、今、お爺
ちゃんが舟を出す準備をしているところである。ここの
すぐ上は瀬戸石ダム。7キロ程下流は荒瀬ダムだが、荒瀬
ダムは現在、撤去へ向けて水門が開放されている

 見上げれば山々がそそり立ち、薄曇りの空は狭くて細長い。鳥が鳴く。川風がさやさやと顔を撫でる。流れの中で魚影がチラチラする。お爺ちゃんの櫓の動きにつれて舟が少しゆらつく。ギッチラギッチラという櫓の音を聴きつつ、今日は決心してUターンした甲斐があったなあ、と思う。
 10分もせぬうちには対岸に着き、せっかくだから岸辺を登ってすぐのところのJR肥薩線瀬戸石(せといし)駅まで歩いてみた。こっちの方は球磨村でなく、八代市坂本町に属する。川と駅との高低差は2、30メートル程あろうか。たったそれだけで川はずいぶん下の方に見えてしまう。「この駅は、昭和40年7月の大水害の時に冠水したとよ」と友人に言ったら、「球磨川の水が、ここまで?」、友人はびっくりした顔だ。そう、あの頃わたしは高校生だった。人吉市の中心商店街も2階まで水が来て、下流の村もずらり水にやられた、と、しんみり感傷に浸ったのだった。
 しばらくしてまた舟に揺られて船着き場に戻った。乗っている間も岸に上がってからもお爺ちゃんからいろんな話が聞けた。朝の5時半には船着場に下りてきて客を待つのだという。朝一番で人吉方面へ行く高校生が1人、舟に乗る。瀬戸石駅から汽車で通学するのだそうだ。八代へ通学する高校生も1人おり、少し遅れて舟を利用する、などという話を伺っていると、時間がストップしてしまったような気分になった。「思い切って舟に乗ってみて良かったですよ」「ほんと、次の機会になんて言ってたって、いつになるか分からんもんね」と2人でうなずき合いながら、おもむろにまた人吉へと向かった。
 ん?……今回は本の話にはならなかったなあ。でも、たまには、良いか?

▲JR瀬戸石駅。左岸の崖の上にある駅。昔は駅員さん
もいたのだが、今は無人駅。ひっそりかんとしている。
だが、付近に住む人たちにとってなくてはならない大事な駅だ