第34回 行雲流水

前山 光則

 謹賀新年。2011年が始まったのである。
 年の暮から元旦にかけて、実に寒かった。大晦日は午前6時頃に起きたのだが、庭にうっすらと雪があるのでびっくりした。南国に住む者にとって雪はとても珍しいのだ。そのまま散歩に出て大通りを歩いていたら、道の真ん中に小鳥がいる。動かない。このままでは車に轢かれてしまうぞと思い、近寄って両手で包み込んでも、目を閉じたままじっとしている。目白であった。家に入れて温めてやりたかったが、もしかして鳥インフルエンザならばいけないのでひとまず家の外の郵便受けの中に置いてみた。するとしばらくして目を開き、バタバタし始めた。それで逃がしてやったわけだが、なんでまた道の真ん中でじっとしていたのだったろう。怪我をしたふうはなく、車に当たって脳震盪(のうしんとう)でも起こしたのか。あるいは、もしかして寒さのため体が動かなくなっていたのか。

▲目白。まるで眠っているふうだ。やがて
目を開けて、ジタバタし始めたのである

 そして、元日の朝。雪はもうあらかたなくなっていたが、日陰には少し残っていた。水たまりは凍っていたし、冷たい風がピューピュー吹く。川べりに出たら遠く雲仙岳が見え、雪で真っ白であった。足早に歩いてみてもなかなか体が温もらなかったのだったが、寒い方が正月らしくて良いな、と思った。なんだか、こう、身がしゃきんと引き締まり、いつもと違う心持ちになれるのである。とはいえ、若い頃は新年を迎えるにあたって「今年こそは」などと意気込んで自分なりの抱負を日記に記してみたものであったが、今は違う。なんだか淡々と年越しをし、静かに新年を迎えたのである。
 そう言えば、わたしの住む八代市に、昔、古川嘉一(ふるかわ・かいち)という詩人がいた。球磨川の河口のほとりに住んで、小学校で教鞭を執るかたわら文芸に親しみ、同人誌『九州文学』や『九州詩人』等に知的な叙情詩を発表して一部の人たちからは高い評価を得ていた。残念なことに肺結核をわずらい、昭和24年の2月22日、37歳の若さで世を去ったのだが、この人がその年の元日つまり死の2ヶ月足らず前に「行雲流水春には春に逢ひにけり」という句を詠んでいる。行雲流水(こううんりゅうすい)、すなわち行く雲や流れる水のごとく物に応じ、執着せず、事に従う。そのような気持ちを保ちつつ病床生活を送って来た、と詩人は言っているのだろう。そして、春。春とはいえ元旦だからまだ本当の春には程遠いわけだが、その兆しのようなものが感じられ、ありがたくて「春には春に逢ひにけり」との言い方が湧いたのではなかったろうか。
 こういう心がけで日々を過ごすのは良いな、と思うのだ。1日いちにち地味ながら充実した気持ちで過ごせるのではなかろうか。
 コラムも、1回いっかい丹念に書いて行こうと思うので、どうか本年もよろしく!

▲近所の神社。元日の昼過ぎ近所の小さな神社へ
初詣でに出かけたが、静かであった。参拝客で
ごった返すところよりも良いな、と思った