第62回 立秋の日に

前山 光則

 8月8日、新聞を開いたら日付の下に「立秋」と出ていた。ほう、暦の上ではもう秋が来たわけか。しかし、まだそのような実感はちっとも湧かなかった。
 もっとも、この夏わが家はまだクーラーを使っていない。いや、やせ我慢しているのでなく、出来心みたいに節電に努めてみようと夫婦で思い立ち、クーラーを点(つ)けずにいたら、そのままになってしまっただけなのである。なんだか今年の夏はわりと過ごしやすいような気がする。昼間は暑さに悩まされるものの、朝夕涼しいのだ。夕立も結構降るし、地球温暖化現象が顕著になる以前の昔の夏、といった趣きがありはしないだろうか。
 その立秋の日は、6人で共同執筆した『球磨焼酎——人吉盆地への招待』(仮題)という本のゲラ刷りを読んだ。沖縄や鹿児島、宮崎、壱岐といった本格焼酎の産地については、今までずいぶん本が出ている。それなのに、米製焼酎の伝統を誇る球磨焼酎の世界を詳しく著したものはなぜか1冊もなかったのである。ここはひとつ、その歴史や飲酒にまつわる習俗等をトータルに詳しくまとめ上げよう、というわけで数年前から6人のメンバーで調査・執筆を続けてきたわけであった。
 しかし、校正作業をするのも楽ではない。クーラーを点けぬ部屋で、ジーッとゲラ刷りと睨めっこの状態。引用文を原典と照合したり、怪しい漢字があれば辞書で確かめる。扇風機が風を送ってくれはするものの、真っ昼間は汗が湧く。眼が疲れる。頭がボーッとしてくる。板張りに寝っ転がって休憩すると、体がだるくて、しばらくは動きたくない。
 そこで、である。夕方には気晴らしのために焼酎を呑んだ。グラスにかち割り氷をいっぱい入れておき、その上へとっておきの球磨焼酎(銘柄は、ヒ・ミ・ツ)を注ぎ、満杯に近くなったら少しかき混ぜる。肴に贅沢なものは要らない。冷奴(ひややっこ)が皿に載っていれば、それで充分だ。
 さて、グラスを傾ける。ヒンヤリとしたものが口中に広がり、涼やかな香りが鼻先に絡む。焼酎の味は、淡い甘みがあり、香りの涼やかさと相まって寛いだ気分になれる。沖縄の泡盛や奄美大島の黒糖焼酎は、冷やして呑むのに向いていても温めたらサマにならない。鹿児島・宮崎の藷焼酎は甘くておいしいが、続けて呑むと飽きてくるきらいがある。壱岐や大分の麦焼酎、あれもやはり温めて呑むのには向いていない、と思う。そこへいくと球磨焼酎は、夏はこうして冷やして呑む、寒い時季には温めて味わえる、しかも上等の味と香りがあって、こういうのはやはり飽きない魅力だ。——うん、よし、明日もクーラーなしでゲラ刷りを読むゾ! ああ、今頃になって元気が出て来たなあ。
 球磨焼酎オンザロックの爽やかさ、立秋の夕べ、ほどほどに嗜(たしな)んだのだった。

▲昔の球磨焼酎レッテル。昭和40年代前半頃のものである。今時のレッテルとだいぶん違うなあ。眺めていて飽きないのだ

▲或る蔵元にて。今年の1月31日に撮った写真。原料の米を洗って水切りをしてあるのだ。蔵の外には球磨郡の山野が見えて、良い借景である