前山 光則
今年は、12月に入って個人宅がイルミネーションで飾られているのをまだ見かけない。去年までは、夜、あちこちでキラキラ輝いて、クリスマスムードが演出されていたのだ。今年は東日本大震災があったので、節電するため皆さん自粛しているのだろうか。
それはそうとして、クリスマスを詠んだ俳句にはどんなものがあるのだろうと興味が湧いたので、『日本大歳時記』を開いてみた。
長崎に雪めづらしやクリスマス 富安風生
天に星地に反吐クリスマス前夜 西島麦南
金銀の紙ほどの幸クリスマス 沢木欣一
クリスマス愚直の大足洗ひをり 神蔵 器
こんなふうに結構多くの例句が載せられている。でも、それぞれに「なるほどね」と句意が理解できても、今ひとつ心に浸みてこない。なぜなのだろう……やがて、ハッと気づいた。わざわざ大冊を開かなくとも、以前、とても良い句に出会っているのだった。
クリスマス昔煙突多かりし 島村 正
静岡市在住の島村正氏の句集『一條』(昭和57年、牧羊社・刊)に載っている作品で、詠まれたのは昭和48年である。サンタクロースは、子どもたちの寝静まった夜遅く家々の煙突から入ってくるのだ、と言われていた。わたしも、幼時、素直にそれを信じた。だが、昭和30年代から始まった高度経済成長により、電気製品やガス器具やらがどんどん普及して日本の一般家庭は煙突を必要としなくなっていった。そして、昭和48年、静岡在の作者は「昔煙突多かりし」と、町の景観の変容に感慨を催さざるを得なかったのだ。今から40年近く前ということになるが、その頃すでに高度経済成長はここまで進んでいたことになる。つまり、島村氏の句は個人的な感慨を述べながら、同時に世の中が大きく変わってきたことをも的確に捉えているわけである。大歳時記に載っている諸作品が「なるほどね」で終わるのに対して、これは社会の動きにも思考を広げさせてくれる点が違う。
煙突がないなら、サンタさんはどうやって家々にプレゼントを運び入れてくれるのだろう。わたしなどは、娘が幼い頃「サンタさんが来るのは真夜中だ。代わりに受け取っておくから、寝てなさい」などと言うだけだった。そういう芸のなさが災いしたか、娘は早い時期から親のウソに気づいたふうであった。現在幼い子2人を育て中の若い友人は、「2階の窓から入っていらっしゃるから、開けたまま寝ようね」と言っているそうだ。うーむ。でも子どもさんがなかなか眠らなかったら、2階の窓は開けたまんま。寒いだろうなあ。
煙突が一般家庭から消え去って久しい今、サンタさんは家ごとに訪問法をくふうしなくてはならない。サンタさん、ご苦労さん!