第117回 御御御付けの思い出

前山 光則

 この頃、味噌汁がおいしい。
 夏の暑い時季にはそう欲しいと思わなかったが、秋に入ると気温が下がり、朝晩なんか肌寒いから、無性にあたたかいものが恋しくなる。それに、出し子や味噌の匂いにはなにか懐かしさのようなものを感じるわけで、大げさかも知れないが味噌汁は日本人の心のふるさとであるような気がしてならない。
 わたしのふるさと熊本県人吉市では、味噌汁のことは「おつけ」と呼ばれていた。おつけはおおむね実だくさんであった。秋だと大根やら椎茸やら菜っ葉などが入っていて、鍋の中が賑やかだった。おつけの他にはおかずも要らず、あとは飯と漬物があれば充分なくらいだった。そのようなおつけに慣れ親しんで育ったから、高校を卒業して東京へ出たとき、正直言ってとまどった。汁が薄いし、実が少ない。豆腐なら豆腐だけ、ナメコならナメコ一品、いや油揚げの切ったのは入っていたか。東京の人たちはケチだなあと思った。
 開眼させられたのは、銀座四丁目の歌舞伎座の裏にあるシチュー料理店にアルバイトに行った時であった。店では、開店前の朝食時と閉店後の夕食時、炊事場にある食材をつかって賄(まかな)い料理を作るのが習慣だった。店のおばちゃんは味噌汁を「おみおつけ」と言っていたが、ある時、つくってみるようにとの指示を受けたので実だくさんの汁をこしらえた。そしたら「こんなもの、おみおつけって言わないのよ」と叱られた。おばちゃんによれば、実だくさんだとそれぞれの素材がお互いにぶつかり合って風味をなくしてしまう。「豆腐なら豆腐の風味をしっかり味あわなくてはダメよ」、だからあんたのこしらえたのはおみおつけでなくて、ただのごった煮だ、というのである。わたしはようやくおみおつけの精神に気づかされた。東京の人たちはケチなのでなく、繊細で上品なんだ!
 それに、「おみおつけ」という呼び名にも馴染めなかった。なぜ味噌汁といわずにおみおつけなのか。これが、辞書で調べてみたら「御御御付け」と表記され、「味噌汁の丁寧な言い方」と説明してあった。「御」が三つも重なる。いや、それならばもともとは「付け」で良いので、本膳に付け添えることからきた言い方だろう。ふるさとではこれに「お」をつけて、「おつけ」だったのだ。方言と思いこんでいたが、わりと正式な言葉だったわけだ。さて、それがいつしかもう一つ「御」が加わって「御御付け」、これはさしずめ「みおつけ」と言っていたのだろうか。さらにまた丁寧に「御」がくっついて「御御御付け」となり、「おみおつけ」と読むのか。となれば、えらくうやうやしくて、ガチガチにかしこまった言い回しだ。田舎出身のわたしは、辞書に見入りながら、感心したり呆れたりだった。 
 今日は他愛もないことを思い出した。豆腐の「御御御付け」でも作ってみようかな?

▲朝の球磨川べり。先日人吉市に泊まりがけで出かけたが、翌朝、霧のたちこめる球磨川では下り鮎を狙って竿を振る人がいた。この後、わたしは宿に戻って「おつけ」を啜った

▲掛け干し風景。実りの秋である。すでに刈り取りも終えて、稲を掛け干しにしてあるところが多い(熊本県球磨郡球磨村)