第167回 ビアンキとママチャリ

前山 光則

 旅先でレンタサイクルがあると、便利だ。
 10月21日、伊豆半島の湯ヶ島温泉の入口で自転車を借りた。土地の観光協会の係員が「うちのはビアンキでしてね」と誇らしげに目の前に出してくれたものを見て、たまげた。頑丈でありながらスマート、乗り心地も良いイタリア製マウンティンバイクだった。ギア操作の仕方や乗り方のレクチャーを受け、事務所前の広場をぐるりぐるりと試運転させられて後、ようやくスタートであった。そして湯ヶ島温泉を巡ってみたのだが、谷間に宿屋がギッシリ並んでいるものと思っていたのに、急な上りがあり、下りがあり、一軒の湯宿があれば次の宿がなかなか現れない。「湯ヶ島温泉」とは、谷間に散在する温泉宿の総称であるわけだ。湯ヶ島全体を車で廻れば山坂もへっちゃらだが、細かい観察ができない。歩けば時間と脚力が要る。マウンティンバイクだと助かるなあ、と痛感した。
 巡ってみると、温泉地全体が雑多な木々に包まれ、それを取り巻く山々も植林地がほとんどない自然林だ。特に、山桜の木が多い。これであと2週間ぐらい後には、ここらは存分に紅葉が愉しめるのではないだろうか。山桜は春もまた愉しみに違いない。若山牧水はこの湯ヶ島温泉を好み、何度も訪れていて、特に大正11年の春に滞在した折りは「うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花」「瀬瀬(せぜ)走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花」等、山桜を詠んだ歌を23首も遺している。山や谷のあちこちに山桜がいっぱい咲きほこっていたのだろう。現在の湯ヶ島も当時と変わらぬ面目を保っているはずで、目の前の木々の豊かな繁り具合を見ていると確信できた。しかも、もこもこした山相が九州のとりわけ牧水の故郷である宮崎県の坪谷あたりと似ており、なんだか懐かしい気分になるのだった。
 国道へ出て、天城峠を目指してみた。だが、さすがに峠路の傾斜はきつかった。ペダルを必死で漕ぐ、休む、車体を押して歩く、さらにまた車体にまたがってペダルを漕ぐ……、1時間半ほど汗だくで奮戦して、ようやく浄蓮の滝までたどり着いた。湯ヶ島温泉の入り口から滝あたりまでおよそ4キロちかくであった。天城峠頂上へはまだ7キロほどあるらしいので、いさぎよく諦めた。峠の店でスパゲッティーを食って休憩した後、坂を下ったが、これは素晴らしく快適。風を切り、飛ぶように走り、BS3「こころ旅」の火野正平のセリフ「人生下り坂、最高!」を叫びたかった。
 翌日は牧水が晩年を過ごした沼津市へ赴き、千本松原や港や商店街等を巡った。ビジネスホテルが貸してくれたのが、御婦人用の自転車だった。ビアンキのマウンティンバイクと、ママチャリ。えらいな落差だが、平地ではかえってこの方が役立つわけであり、かれこれ約20キロ乗り回した次第であった。

▲湯ヶ島温泉。この谷に源泉が10数カ所あるのだそうだが、営業している旅館は10軒に満たない。廃業したと思われる建物が、木々に埋もれるようにしていくつか見受けられた

▲浄蓮の滝。石川さゆりの「天城越え」に謳われている滝だ。昔、近くに浄蓮寺という寺があったことからこの名がついたという。滝の落差は、25メートル。こじんまりした滝だ

▲ワサビ田。浄蓮の滝のすぐ下。清澄な水を利用してワサビが栽培されている

▲千本松原の中の牧水歌碑。牧水旧居のすぐ近くである。画面の左に見えるのが歌碑で、「幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ國ぞけふも旅ゆく」と刻まれている