第195回 記憶の違い

前山 光則

 同郷出身の友人が、また電話してきた。
 そして、「こないだの連載コラム第188回には『三太物語』って本も出ておったが、あれも球磨人吉のことが書かれとると?」と訊く。『月明学校』が球磨郡の山奥を舞台にした本だと知って、『三太物語』もふるさとと関係あるのかと連想したらしい。うんにゃ、何を言うかね。青木茂が書いた『三太物語』の舞台は神奈川県の津久井、道志川源流部の谷で、山育ちの三太少年たちが、やんちゃで、逞しくて、喧嘩しながら仲良しでよく遊ぶ。彼らのやんちゃぶりを優しく見守り導いてくれるのが花荻先生で、この若い女先生と三太少年たちは村の大人たちをも巻き込んで数々の冒険を経験していく。昭和25年からNHKラジオで連続放送されるようになってから全国に知れわたって評判になったわけで、だから俺たちは本よりもラジオにかじりついて毎日親しんだじゃないか。「ほら、毎回、おらァ、三太だ!ちゅう声で始まりよったろうがね」と言ったのだが、友人は「そういうのが、エー、あの頃ありよったかねえ」、電話の向こうでしきりに首をかしげているふうだった。「あの番組を覚えてないってか。さびしい団塊の世代だねえ」と皮肉ってやった。
 友人は、「ラジオか……、あの頃はよく聴いたなあ。電信工夫のドラマもあったし」と言いだした。「エッ?」、今度はこちらが首をかしげる番だった。なんでも、昭和32年頃に2人の電信工夫を主人公とする連続ドラマが放送されていた、というのが友人の記憶である。「主題歌をエノケンがうたっていた」というから、「エノケンって、榎本健一のこと?」、すると嬉しそうな声が返ってきて、「そぎゃんたい、あのエノケン。ラジオだけじゃなか。映画にもなったよ」、電話の向こうではしゃいでいるふうだ。ますます分からない。で、ドラマのテーマソングだが、友人の覚えているのは次のような歌詞であった。
「お国名物、からっ風/吹くな、赤城(あかぎ)の山颪(やまおろし)/泣くな、泣くなよ、電信柱、電信工夫はなおつらい/お前、ほくしゅう、おら、なんしゅうよ/なんしゅう、ほくしゅう、あーおぞら仲間~」
 友人は電話でうたってみせた。「からっ風」とか「赤城の山颪」と歌詞が入っていて、冬、関東地方に乾燥しきった風が吹き荒れると身を切られるように冷たい。だから「電信工夫はなおつらい」のである。若い頃に東京に約6年いたから、そのへんのことは理解できる。「ほくしゅう」「なんしゅう」だが、友人は「電信工夫の名前が北州・南州じゃなかとかな」と解釈をしてみせた。なんだかヘンな名前で、やや疑わしい。だが、電信工夫のドラマについて、よくまあ覚えているものである。
 同じ時代の空気を吸いながら、友人と私とでは少年時の記憶がこんなにも違うものなのだなあ。そのことに深く感じ入ってしまった。
 
 
 
写真 青田と白鷺

▲青田と白鷺。八代平野の稲田。青々とよく育っている。白鷺たちがやってきて、青田の中をゆっくり動いているが、餌を探しているのだろうか