第200回 再訪・草津温泉

前山 光則

 6年前の初夏の頃、10日間ほどかけて若山牧水ゆかりの地を辿ってみたことがある。その際最も印象深くてもう一度訪れたいものだと思ったのが、群馬県の草津温泉であった。
 8月31日、曇天。昼の2時に着いたが、標高1156メートルの草津は涼しさを通り越して肌寒かった。まず、源泉が湧出する「湯畑」の傍で足湯に20分ばかり浸かって休憩した。ついで「熱の湯」館へ入り、「湯揉みと踊りショー」を見物。草津の湯は非常に熱いため、長い板で湯をかきまぜてから入浴する習慣があった。それを観光客の前で実演してくれるのだ。お姐さんたちが「草津節」をうたいながら湯を揉んだあと、観客にも「皆さんやってみませんか」と勧めてくれる。わたしは前回経験しているので、女房をそそのかして参加させた。結構たのしそうだった。もっとも、本来の湯揉みはのどかなものではなくて、病いを治すため草津へ来た人たちの真剣な作業だ。本格的なものが見られるのが「時間湯」である。牧水が「静かなる旅をゆきつつ」や「みなかみ紀行」で書いているように、隊長の号令の下に湯治の者たちが声を挙げながら、歌をうたいながら、湯をかき混ぜる。温度が下がったらサッと湯に浸かる。短時間で湯から出てまた混ぜる。病いの治癒を願いつつ、これを繰り返す。牧水は、「湯を揉むとうたへる唄は病人(やまうど)がいのちをかけしひとすぢの唄」と詠んでいる。
 温泉の方は、宿で夕食前・就寝前・翌朝早くというふうに入浴した。ぬるめにしてあり、ゆっくり浸かれた。PH2前後の非常に強い酸性湯で、目や顔面にチリチリとくる。皮膚病・神経痛・糖尿病等に効くのだという。
 翌朝、宿の人に「バスターミナルに行く途中、中和工場の前を通りたい」と言ったら、車で案内してくださった。女房に見せたかったのだ。草津温泉の各所で湧いた湯は湯川という川へ流れ込むが、そこへ細かく砕いた石灰等の中和材料を混ぜ込んでやる工場がある。これができたのは昭和39年だそうだ。草津の強酸性の湯がそのまま流れ込んでいた昔は、川では魚がまったく棲息できなかった。それが、中和が行われるようになってから湯川も下流の白砂川さらに下って吾妻川も鮎など種々の魚類が姿を見せるようになったという。中和工場の前へ連れて行ってくれた後、宿の人は、さらに6年前に見る機会を逸した品木ダムにも案内してくれた。そこは湯川から流れてくる石灰粉を沈殿させ、回収するためのダムだ。ムトーハップみたいな色の湖面を眺めながら、ため息が出てしまった。下流の魚類が死なないように、中和工場も品木ダムも永遠に任務がつづくのである。しかも、この水が流れ落ちて行く先の吾妻渓谷にはやがて八ッ場(やんば)ダムができる……。
 草津再訪の一番の収穫、それは宿の人のはからいでこのダムを見たことだな、と思った。
 
 
 
写真①湯畑

▲湯畑。草津温泉の中心に位置しており、1日にドラム缶約23万本分の湯が湧出するのだという。硫黄の採取も行われている

写真②湯揉み体験

▲湯揉み体験。一般の観客が希望すれば、このようにして湯揉みが体験できる。ちょっと体を動かすだけで汗ばむ

写真③中和工場と湯川

▲草津中和工場と湯川。画面左に草津中和工場の一部が見える。石灰分等を混ぜた水が、水道管を通して湯川に注ぎ込まれている

写真④品木ダム

▲品木ダム。ここに棲む魚たちは体が石灰分に染まって真っ白いのだそうだ。それを見たくて湖畔で粘ってみたが、あいにく水面近くには現れてくれなかった