第237回 郵便ポストの話

前山 光則

 先日、客人2人を案内して南阿蘇や山都町方面へドライブした。まだ紅葉には早すぎたものの、爽やかで、気持ちいい一日であった。
 客人のうちのお一人、わたしとあまり変わらぬ年配のご婦人Kさんは、道々、「あら、懐かしい」「おや、ここにも」、山や川の景色よりも道端のなんでもない郵便ポストに興味を示した。「こんなのは、どこにもあるですよ」と言ったら、「いえいえ、あっちではもう見ることがない」のだそうである。それは赤い色した円筒形のもので、言われてみればもう古い型なのかな。この頃町なかで見かける新しいポストは、たいてい箱形であろう。でも、では円筒形のものが皆無かといえば、結構存在するのである。だから、別段珍しいものではない。ところがKさんにとってはとても懐かしく郷愁をそそるポストであり、あっちこっちで出会うたびに歓びの声をあげるので、なんだか旧式ポストがかわいらしく見えてきた。われわれは今、たいへんレトロなものに次々に出会いつつ九州山脈の襞の間を走行しているのか、と、Kさんのおかげでひと味違うドライブ気分に浸ったのだった。
 実は、いつもは別の気持であったのだ。日頃、手紙や葉書を投函する時、ポストによって頼りなく見えてしまうことがしばしばである。はっきり言って、そういうときのポストはみすぼらしい姿だ。小さいのが多いが、それだけではない。普通に大きくてもなんだか薄汚れているし、目立たない場所にあるし、これに投函してもちゃんと相手先へ届くだろうか、と訳もなく気になってしまう。それらは今風の箱形もあるし、しかし、やはりたいていがKさんに感動を与えてくれた昔タイプの円筒形ポストである。ついつい投函しそびれて、遠いところまで行って頼りがいのありそうなポストを見つけ、やっとホッとする。
 これは、自分だけの偏見なのかも知れない。どのポストも平等に役割を持っており、どのような姿であっても、大きくても小さくてもポスト、新しかろうが旧式のものだろうがポスト、である。姿かたちや置かれた場所の雰囲気等で頼りなく感じたりしてしまうのは、イケナイことだ。しかし、やっぱり時折り頼りなく感じてしまうポストがある。散歩するときも見かける。そうして、旅先でも……。
 昨日、Kさんのことや旧式円筒形ポストのことを、郵便配達の仕事をしているポン友にぶつけてみた。「う、うーむ……」、友人は、微苦笑といえばよかろうか、しばらく笑っているのか困っているのだか分からないような表情を見せた。そして、やがて優しい表情で「旧式の、ポスト、な。こないだもな、あんまり汚かったけん、拭き上げておいたとバイ」と呟くのであった。そこで、今度はわたしの方が「あ、いや…」、いっとき微苦笑せざるを得なかった。ああ、わたしはたいへん身勝手なことを喋ってしまっていたのだなあ。
 
 
 
写真①円筒形ポスト

▲円筒形ポスト。Kさんに刺激されて、この種のポストに興味が出てきた。これは、いつも行く日奈久温泉センターばんぺい湯の正面に立っているポスト。無論、立派に現役である

 
 
写真②箱形ポスト

▲箱形ポスト。日奈久温泉の近く、国道3号線沿いに立つポスト。たいへん小さい