第239回 見知らぬ自分がそこにいる!

前山 光則

 10月21日の「日本経済新聞」文化欄に、熊本県水俣市在住の萩嶺強(はぎみね・つよし)氏による「水俣の早世詩人を広める」と題する一文が載った。氏は淵上毛錢を顕彰する会の事務局長で、17年前から毛錢の詩世界を世に広めるため講演会やミニコンサートを開催したり、詩碑を建立するといった活動を奥さんや市民有志の方たちと一緒に根気よく続けてこられた。その活動経過を要領よくまとめた好レポートであった。今年は、毛錢生誕百周年である。わたしとしても、『生きた、臥た、書いた《淵上毛錢の詩と生涯》』(弦書房)や『淵上毛錢詩集・増補改装版』(石風社)が間もなく出来上がろうとしていたので、新聞記事はタイムリーであった。
 しかも、記事の中にわたしの名が2度登場したが、それを目にしたK氏が44年ぶりに便りをよこしてくれたのである。わたしが大学四年の夏に銀座四丁目のシチュー料理店でのアルバイトを辞めようとする直前、同じ大学から入って来たのがK氏だった。ほんのちょっとの間、一緒に仕事をしたのだが、短い期間のことを実によく覚えてくれていた。
 便りに記されていた懐かしい思い出話の中には、こちらがまったく覚えておらずキョトンとなってしまうものもあった。それは、仕事が終わっての帰り道に立ち寄った銀座の本屋で、わたしが深沢七郎の『楢山節考』を取り出してK氏に「これ、読んだことある?」と聞き、その本をパラパラとめくっていたが、あるところに差しかかって歌をうたいはじめた、というのである。便りにはそんなことまで記されているので「エーッ」、思わず声をあげてしまった。ただ、確かにあの頃、深沢七郎の作品は好きで、こまめに読んでいた。そして「楢山節考」に関していえば、あの小説では七十歳を超えた年寄りは口減らしのため楢山へ行って死を迎えなくてはならぬ。それを楢山参りと称して、盆踊りの歌にも「楢山祭りが三度来りゃよ/栗の種から花が咲く」「塩屋のおとりさん運がよい/山へ行く日にゃ雪が降る」などとうたわれる、という設定になっている。あるいは「つんぼゆすり」とか「鬼ゆすり」と呼ばれる歌も出ていて、それは「ろっこん、ろっこん、ろっこんな/お子守りゃ楽のようでらくじゃない/肩は重いし背中じゃ泣くし/ァろっこんくろっこんな」などとうたう。これは子守唄というよりも、楢山へ年寄りを棄てに行く際にお伴の者がうたうのである。両方とも作者・深沢七郎の作詞・作曲によるものであり、作品の末尾に楽譜もついていたから、それを見て自分でうたえるまでになっていたのだろうか。
 学生が、銀座の本屋の中で、年寄りを棄てにゆく歌を口ずさむ……、家の者は面白がって「アナタナラ、アリ得ル話ヨ」とからかう。しかしなあ、自分では狐につままれたような話だ。あーああ、見知ラヌ自分ガソコニ居ル!
 
 
 
写真 ススキ

▲ススキ。もうだいぶん秋も深まってきたが、今、ススキがきれいである。熊本県水俣市わらび野の秋葉山を歩いていたら、ススキが風に吹かれて揺れていた