前山 光則
先月、イギリスから客が2人やって来た。スミス・アキコと、キーラ。2人とも21歳で、仲良し同級生、一緒に旅して来たとのことだ。アキコは、21年前に熊本市内で生まれている。当時、彼女の両親が仕事で来日していて、わたしの女房とつきあいがあった。
6月17日に訪ねてきてくれたのだが、すぐにアキコと分かった。親にそっくりの顔だからである。彼女が熊本の産婦人科病院で出生してから早や21年経つのだなあ、とため息が出た。アキコは、自分の生まれた病院や暮らしていた家を見てみたい、できることなら両親とつきあいのあった人たちにも会ってみたい、と言った。で、翌日は良い天気だったから、南小国町までドライブした。アキコの両親は熊本市内のインドカレー店の店主M氏夫妻と親しくしていたのだが、だいぶん前に閉店した。女房があちこち問い合わせたところ、現在では南小国町で農業を営んでいることが判明、会いに行ったわけだ。道中、地震の被災状況が車中から見えて、アキコもキーラも胸が痛む様子だったが、それでも阿蘇外輪山からの眺望には目を輝かせた。そして、南小国町に到着。M氏夫妻は、しっかり待っていてくださり、わたし同様に彼女と親は顔が瓜二つだと言って喜んでくれた。
19日はあいにく雨だったものの、熊本市へ出向いて、カレー店のあった場所を見た後、アキコたちが住んでいたアパートを探した。住所メモを頼りに探したら、あった。これはどうも当時と変わらぬ佇まいではなかろうか、と仰ぎ見ていると、中から小柄な60歳代の男性が現れて「何か、ご用ですか」。それで、「このイギリス人アキコは幼い頃にここで生活したのだそうで…」と説明した。そしたら「おや、そういうことでしたら、どうぞ、中へお入りなさい」と中の談話室へ招じ入れてくれた。現在はアパートでなく高齢者住宅なのだそうだ。わたしたち4人、お言葉に甘えてぞろぞろとお邪魔したのだが、わざわざコーヒーを淹れてくださり、いやそのおいしかったこと。とにかく、アキコの住んでいた住宅がそのまま残っていて良かった。
そこから彼女の生まれた産婦人科病院へと移動すべく車を動かして、100メートルほど進んだ角の家の駐車場で、なんとH氏が片づけものをしているではないか。実はこの人に「明子」という娘さんがいて、アキコの両親はその名をとても素晴らしいと思い、自分たちの子にも使わせてもらったのである。忙しい人だからまさか出くわせるとは思っていなかったが、幸運だった。H氏もアキコの顔を見てすぐに顔を輝かせた。無論、2人で記念撮影をパチリ。最後に訪問した病院では、突然の飛び入り客なのに懇切に応対してくださり、分娩室までも見せてくださった。
後で、「なんだか、NHKテレビの〃鶴瓶の家族に乾杯〃みたいだったなあ」と思った。