前山 光則
8月6日、友人I氏に誘われて、朝から木々子(きぎす)集落の七夕飾りを見に行った。
木々子は、八代駅前から車で約20分、17、8キロほどの距離であろうか。球磨川からちょっと入り込んだ谷の中ほどにあって、集落の戸数は23軒とのことである。午前8時半頃に現地へ着いたが、谷川の右岸の地蔵堂にすでにお爺ちゃんお婆ちゃんたちが集まって、飾り物を作る作業にいそしんでいた。地元の人ばかりでなく熊本大学の民俗学研究班やマスコミ関係者や、あるいは八代市の商店街の人たちが団体で見学に来ていて、ワイワイガヤガヤ賑やかだ。木々子の七夕飾りは独特なので、今、注目を浴びている。あちこちで普通に見られるのは竹の枝に願い事を書いた短冊をたくさんぶら下げて、然るべき場所に立てておくというやり方だが、ここではそういうのはしない。鶴・亀など縁起ものや馬・草履・人形やらを稲藁を使ってみんなで作り、藁縄に吊す。これを集落の中心を流れる川の上に掛け渡して飾るのである。つまり、一軒一軒が戸別に行うのでなく、集落すべての人たちが力を合わせて大きな飾りを作り上げ、みんなで七夕祭りをするわけだ。
お爺ちゃんやお婆ちゃんたちが手際よく藁を綯(な)うので惚れぼれと見入っていたら、「あんたたちも、やってみんかい」と声がかかった。せっかくの機会だからとI氏もわたしも挑戦してみたが、ちっとも綯えずに失敗の連続だ。ああ、こうしたこと、幼い頃に親や祖母に教わっておくべきだったなあ。なんだか絶望的な気分だ。それでも、「いや、ほれ、手をそこで、そうそう、動かせ」と指導を受けてやっているうちに、一応、藁縄らしいかたちを作ることができるようになり、なんだか嬉しい。「来年も来なさい」と婆様が笑顔で言ってくれる。「はい!」と答えたものの、来年また来てもやり方を忘れてしまっているかも知れない。「そのときゃ、また教えてやるから」、婆様はいたって優しい。
木々子は、はるかな昔には「きじこ」という地名だったそうだ。江戸時代だかその前だか、集落は北隣りの別な谷のずっと奥、五木村に近い山中にあった。「落人が住み着いたと」と、ある爺様が説明してくれた。それが、が、やがて、ここが住みやすいと分かったので移って来た。朝鮮半島から人がやって来て、炭焼きや山林伐採に従事した時期もあった。時代が移り変わるうちに、「きじこ」がいつの間にか「きぎす」となったのだという。
午前十一時過ぎから川をまたいでの飾りつけが行われ、やがて完了。谷間に歓びの声が轟いた。川べりの公民館で昼食会が始まり、I氏にもわたしにも誘いの声がかかった。団子汁や竹輪・蒲鉾・天ぷらの煮付けや胡瓜・大根・生姜・瓜などの味噌漬けが膳に並び、どれもおいしい。草履一足を土産にもらって帰って来た。木々子集落の今後に幸あれ!