第291回 水俣へ

前山 光則

 3月9日と3月14日、水俣市へ行った。 9日は、淵上毛錢墓前祭があった。墓前祭についてはこの連載コラム第218回でレポートしたことがあるように、毎年毛錢の命日に催されているのである。午後2時から水俣市役所の裏手にある墓所に「淵上毛錢を顕彰する会」の人たちを中心に20人ほどが集まり、肌寒い中、萩嶺美保さんによる読経に始まり、作家の吉井瑠璃子さんが司会をして全員で毛錢の詩「冬の子守唄」を朗読。そして、シンガーソングライターの柏木敏治氏が毛錢詩に曲をつけてうたった。墓前でのセレモニーの後は近くの東福寺に移動し、茶話会が行われた。そこでも水俣市内のコーラスグループによる歌や毛錢詩の朗読、弾き語りなどもあった。
 今までと変わらぬ和やかな雰囲気のうちにも、正直なところ一抹のさびしさがあった。というのは、この寺の住職で「淵上毛錢を顕彰する会」の事務局長を務めていた萩嶺強(つよし)氏が、昨年の11月に亡くなられたからである。享年74歳であった。温厚で包容力のある人柄だったから、みんなからとても好かれていた人だ。この人がいないのは、さみしい。寺での茶話会の中でわたしもちょっとだけ喋らされたが、お喋りよりも先に氏のお好きだった毛錢の詩「家系」を朗読した。
 
 
  まづ
  仏様に上げてからと

  父は訓へ給ひ
  母は忘れずに行ひ給ふた

  父を喪ひ
  母に亡くなられて

  いつか 私も
  仏様(ほとけさん)にあげてからと言つてゐる

  お燈明(あかり)を上げ 鉦をならし
  目を瞑つて 拝む

  なじみになつた青い線香が俳句のやうに
  匂ほつてくる

  父祖の恩を胸に刻み
  ときには

  兵隊の弟の勇ましい鉢巻姿を思ひうかべることもある

  顔を上げてほつと息をつく

  子から子へ 子から子へと

  あゝよきかな 絶ゆることなく
  承け継がれて

  えもいはれぬ 祖国は

  栄え輝く。
 
 
 この詩の中の、特に「なじみになつた青い線香が俳句のやうに/匂ほつてくる」という部分が萩嶺氏もわたしも大好きだった。「よくまあ、こういう表現が出てくるですよなあ」、2人とも「家系」のことを話題にするたびにこの部分をいつも褒め合ったのである。朗読しながら胸が熱くなってしまった。
 次いで、3月14日はエコネットみなまたというところに「渕上清園・卒寿書展」を観に行った。清園氏は、第15回「淵上毛錢と俳句」や第139回「闇に裂く魔山の石」で触れたとおり、書家であり、また淵上毛錢研究の第一人者でもある。その清園氏が今年90歳、今もなお矍鑠(かくしゃく)たるもので日々書作品の制作や毛錢研究をつづけておられる。14日は書展のオープニングだったので、一番乗りのつもりで午前10時、会場に飛び込んだ。すると、なんということ、すでに会場は清園ファンでいっぱいではないか。無論、御本人もいて、新聞やテレビの取材に対応しておられる。地元での清園氏の人気の程があらためて窺えるのであった。
 そして、清園氏の作品群の圧倒的な存在感に感じ入ってしまった。広い会場に大小様々な作品が全部で68点展示してあったが、どれ一つとして同じ調子のものがない。力強いのもあれば、逞しいのもあり、かと思うとしなやかで繊細なおもむきの作品もある。一点一点に、その時その折りの書家のピュアーな魂が込められていて、感動的だ。どの作品も、見落とすことが許されぬ存在感を湛えてわたしたちの前にある。目を見張りつつ、観入りつつ、あるいは溜息を吐きつつ、じっくりゆっくり清園氏の書の世界にひたったのであった。
 
 
 
写真①淵上毛錢墓前祭

▲淵上毛錢墓前祭。毛錢のお墓の前に集う人たち。冷たい風が吹くので、「墓前祭の日には、いつも寒いですねえ」とぼやく人もいた

 
 
写真②熱演

▲熱演。柏木敏治氏による弾き語り。水俣で永らく音楽活動をやっている人である

 
 
写真③渕上清園卒寿書展

▲渕上清園卒寿書展。会場へ入ってすぐのところに掲げてある作品。これにまず圧倒される

 
 
写真④来場者たち

▲来場者たち。参観者が多くて、老若男女とりどりに来て趣き深い作品に観入っていた

 
 
写真⑤若き日の清園氏

▲若き日の清園氏。頼もしい姿である。渾身の力で書の制作を行なっているのだ