第303回 川風に吹かれた

前山 光則

 旅の終わり近く、何の予定も立てずに独りで東京都内を気ままに歩こう、と思った。
 だから、6月6日、御茶ノ水駅でフラリと下りた。神田川にかかる昌平橋を渡った頃、ちょうど午前11時だった。まずは神田明神へと行ってみる。というか、実は明神さんよりも鳥居横の甘酒屋に立ち寄りたくなったのである。ここは弘化3年(1846)創業の老舗で、店の奥に6メートルほどの「室(むろ)」つまり横穴があり、その中で甘酒が醸されていて、とてもうまいのだ。神田明神に参拝した後、店に入り、甘酒の他に葛餅も注文してしばらく休憩した。店の人と駄弁っていたら、室では納豆も造るというので、これは初耳だ。家の者たちへの土産にそれを買う。
 それから湯島天神、さらに上野の不忍池へと下って行き、アメ横へも入り込んでみたが、その間、久しぶりに葛飾柴又へ行って渡し舟に揺られたいとの気持ちがフツフツと湧いてきていた。それでまた電車に乗り、小岩まで行き、バスに乗り換えて、柴又の帝釈天参道近くに下り立ったのが午後2時であった。
 参道には土産品店や川魚料理屋などもあるが、なんといっても多いのが草団子を食べさせる店で、帝釈天にお参りしてからさっそくそのうちの一軒に入って一皿注文した。でも、食べながら、落ち着かなかった。江戸川の方が気になっていたのである。この連載コラム第66回「柴又散策」でレポートしたことだが、6年前に娘を連れて遊びに来た時、渡し舟に乗りたかったのに、あいにく矢切の渡しは臨時休業日だったわけだ。今日はなにが何でも舟に乗りたい。草団子を慌ただしくパクついた後、早足で川土手を上って見渡すと、おお、今日は舟がいるし、船頭さんが乗っている! 舟着場へと下りて行って、舟に乗り込む。客はわたし1人であった。「片道200円です」と若い船頭さんが言うが、往復したいので百円玉を4コ差し出した。
 若船頭に、「利用客に、常連はいますか」と聞いたら、棹を操りながらうなずく。柴又に遊びに来る人や、逆に柴又の方から対岸の千葉県市川市や松戸市に用足しに出かける人も利用するという。「この川、魚はいますか」と訊ねると、海からハゼなどが上ってくるし、無論コイやフナ、ハヤといった淡水魚も多い、とのことである。だから、「ほら、今、カワウが潜った」、彼が言うように、確かにカワウが魚を狙ってやってくる。「あれが魚を襲うと、魚が逃げ回って、たまには舟に跳びこんでくる」のだそうだ。たまに、中国原産のソウギョやハスもバチャンと逃げ込むので、「舟が臭くなってしまう」と若船頭はぼやいた。ソウギョは特に体が生臭いらしい。
曇り日で、暑くない。ほどほどに川風が吹いて、申し分のない渡し舟日和であった。若船頭は30分ほどでゆっくりと往復してくれて、おかげで川風で充分に涼むことができた。
舟着き場では次の客が3人、待っていた。
 下船してから、ふと見ると、舟着き場の近くには歌謡曲「矢切の渡し」の碑だけでなく水原秋桜子の「葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり」を刻んだ句碑もあるのだった。これは今度初めて気づいた。神田生まれで、葛飾在あたりには大変愛着を持った俳人の、このあたりの春の風情を詠んだ句である。そうだな、桃の花が咲く頃に来るのも良いな、と思った。それからは、「山田洋次ミュージアム」と「寅さん記念館」を見学した。帰りがけ、もう一度草餅屋で休憩した。コーヒーを飲みながら草餅を一皿食ったが、ン、昼飯がまだだったな、と気づいた。だが、ま、いいか。今日は葛餅や草餅でお腹いっぱいだから!
 
 
 
①神田明神の鳥居と甘酒屋

▲神田明神の鳥居と甘酒屋。鳥居から明神の方へ上り坂になっているのが分かるだろう。そして、鳥居の左にあるのが甘酒屋で、店の奥に「室」がある。つまり、店は明神へつづく斜面に位置しており、横穴が掘りやすかったのである

 
 
②湯島天神から上野方面へと続く石段

▲湯島天神から上野方面へと続く石段。天神社の裏門から下りていくのだが、たいへん急な石段である。ここから上野の不忍池へかけてはわりと深い谷をなしているわけで、江戸が起伏に富んだ都市であることが実感できる

 
 
③柴又帝釈天の門前参道

▲柴又帝釈天の門前参道。参道の長さは約200メートル。ぎっしりと色んな店が並んでおり、この商店街の名は「神明会」という名である。ちなみに「帝釈天」は通称で、寺の名は題経寺。日蓮宗の寺である

 
 
④矢切の渡し

▲矢切の渡し。今、対岸(左岸)を離れて舟がこっちへ向かいつつあるのが見えるだろうか。こちらから手を振って呼んだので、応じてくれたのである

 
 
⑤舟から船着き場を見る

▲舟から船着き場を見る。ゆっくりゆっくり右岸の方へ帰っていきつつある。船着き場には3人いて、退屈そうにこちらの帰りを待っている