第308回 最後に買い物

前山 光則

 7月10日、朝。もう「島尾敏雄生誕100年記念祭」も昨日で終わってしまい、今日は帰らなくてはならない。名残惜しくて、午前5時過ぎには外へ出てみた。宿の前の道路を、若い男女たちがぞろぞろ歩く。盛り場で呑んで、騒いで、今帰るところらしい。電信柱脇に寝っ転がっている者もいる。夜通し飲んだ果てに酔いつぶれたのだろうが、しかし、それにしては気持ちよく寝入っているふうだ。昨日の朝はこういうのを2人見かけたし、1人はお巡りさんから「もしもし、起きなさい」と起こされていた。奄美では、夜を徹して飲酒する若者は多いのかも知れない。なにせ名物の黒糖焼酎はラム酒同然で、ほんとにうまいからなあ。
 港を目指して歩いていると、河口付近にパパイアの自生しているのを見かけた。実もつけていて、まだ青いけれどもソフトボールほどの大きさで、こういうのが漬け物やサラダに用いられるのだろうか。港へ出ると、ちょうど魚市場で競りが始まろうとしていた。大小さまざまな魚が並べられていく。ソージ、タバ、ネバリ、アオマツ、ホタ、エラ、ザツ等々、魚の名前を教えてもらったが、分かったのはタコだけだ。原色のものが多くて、カラフル。見ていて愉しい。
 朝飯に奄美の代表的料理である鶏飯を食べてゆっくり寛いで後、10時にチェックアウト。Nさんが、忙しい中を駆けつけて、土産などの買い物につきあってくれた。昼近い街はすでにかんかんに日が照って、暑い暑い。しかし、なぜかさわやかだ。スーパーマーケットに入ると、Nさんの近所のお婆ちゃんに出会わして、しばらくは和やかな会話が交わされた。これに限らず、歩いているとあちこちでNさんの知り合いがいる。やはり彼女は土地の人なのだ。前日ミキを買いに行った東米蔵商店へも立ち寄ったら、嬉しいことに顔を覚えてくれていた。ちなみに東米蔵商店はミキだけでなく餅や赤飯も製造・販売するが、奄美ではこの餅・赤飯を売る店も結構多い。それから、歩いていて、織物をする家も数軒見かけた。昭和46年に来た時のような盛んな機織りの音は聞かれなかったが、やはりまだまだ大島紬は健在なのだろう。つき揚げ屋では、魚市場で見たようなカラフルな色のタルメ、アカマツ、アカウルメといった魚が原料に使われているのだそうで、うまい。薩摩揚げのような甘たるさがないのが嬉しい。怖かったのは、ハブ屋だ。昭和23年創業の老舗だそうで、生きたハブが置いてあるわけではないものの、奄美で捕れたハブを原料にして作られた革小物・骨・牙装飾品・粉末・油などが売ってある。自家焙煎のコーヒー店やケーキ屋へもNさんが連れて行ってくれて、こういうふうによそから来た者へ推奨できる店がふんだんにある、というのは奄美市の生活文化がどういうレベルであるかが窺えておもしろい。
 その極めつけが、昼飯を食べに行った時であった。Nさんは港の近くのカレー店へ連れて行ってくれたのである。ぜひ食べさせたかった、と彼女は言う。そこのカレーは、奄美大島で栽培された生うこんをベースに作られるのだというが、食べてみると果たしてたいへんおいしかった! そのような腹ごしらえをしてから、おもむろに奄美空港へとバスに乗ったのであった。空港の売店に冷やしミキが瓶詰めで売ってあったから、奄美への感謝のしるしに小瓶を買って飲んだ。
      *             
 奄美への旅をしてから、早や2ヶ月経つ。旅のレポートをまとめながら島尾敏雄氏の「名瀬だより」を読みかえしてみたのだが、こういう記述がある。 

……………………………………………………………………………………

 ここ一、二年のあいだに、名瀬市は急速に都会らしくなった。人口もふえた。したがって専門店も次第に現われているが、眼につく店舗の多くは今なお、食料品店と日用雑貨店と八百屋、果物屋、菓子屋、化粧品店、荒物屋などを兼ねた百貨小店舗である。一般に市民はそういう店屋に出かけて行って日々の買い物をすませるわけだ。店先での応対は概して無愛想だ。つい昭和の初めあたりまで、名瀬では客の方が「ありがとうございました」(もちろん島の言葉でだが)と言っていたという。

……………………………………………………………………………………

 ほう、名瀬の商店の人はそんなに威張っていたのだろうか。引用文に続けて、島尾氏はこの「無愛想」の意味合いについて解き明かしているのだが、それは、近代に入って、当初、名瀬で商店を経営する者は鹿児島人が多かった。鹿児島人と奄美地方に関しては歴史的な経緯がある。彼ら鹿児島人は奄美の土着の人たちに対して優越意識があり、横柄にならないわけにはいかなかったので、「そのことがあるいは無愛想な名瀬商法の伝統をつちかうのに力を貸したかも分らない」と島尾氏は述べている。へーえ、と思った。この文章は昭和32年に発表されており、当時の名瀬(つまり、現在の奄美市)では各店でこのような愛想のない応対が見られていたわけだ。土地の人たちにとって、取るに足らない日常茶飯事。だが島尾氏はすかさず感じ取り、文にして遺したわけだ。そしてそれは、今となってはすっかり様変わりしてしまったわけだろう。いや、ほんとのところはどうだろうか。わたしの場合、今度の旅では「島尾敏雄生誕100年記念祭」の催しの合間にかなりまめに奄美市内を巡ってみたが、印象は逆で、店の人から愛想のない応対を受けることはなかった。でも、たった3泊4日の旅行で深いところまで触れるのは無理かも知れないのだ。
 島尾氏の書いたものに文学的価値があるというのは論を待たないところであるが、さらにこうして時代の記録としても価値が出てきているのだなあ、と思わざるを得ない。ああ、またそのうち奄美へ行きたい!
 
 
 
①水揚げされた魚

▲水揚げされた魚。まるで熱帯魚みたいである。名前を教えてもらったが、残念、忘れてしまった

 
 
②つき揚げ屋

▲つき揚げ屋。取れたての魚をつかってあるので、たいへんおいしい。こういう店は瀬戸内町の古仁屋でも見かけた

 
 
③マーケットに売ってあるミキ

▲マーケットに売ってあるミキ。御覧のとおり紙パックに詰めてある。だから、牛乳と間違えて買う人がしばしばいるのだという。写真に見えるミキ店だけでなく、豆腐屋や魚屋もミキを製造・販売するから、製造業者はだいぶんあるのだ

 
 
④ハブ店

▲ハブ店。見てのとおり、なんとなく風格のある店。市内の中心部にある

 
 
⑤帰りに乗った飛行機

▲帰りに乗った飛行機。このプロペラ機で鹿児島空港へ飛ぶのである。名残惜しくて、ちょっと寂しくなった