前山 光則
11月29日、空がからりと晴れてくれた。
友人2人につきあってもらい、ドライブをした。鹿児島市城山町のかごしま近代文学館で催されている「島尾ミホ展」を観るためであった。これはすでに10月2日から始まっており、来年の1月20日まで続く。だから、暇のある時に行けばいいな、と気楽に過ごしてきたが、11月も終わりにさしかかって「待てよ……」と焦ってきた。この調子ではいつまでもズルズルとしていて、そのうちには会期が終わってしまいかねないゾ。うん、そうだ、今わりとヒマだから行ってこよう、と決心したのであった。
一人で行くのは心細いから、気の置けぬポン友2人に声をかけ、つきあってもらった。
朝の9時過ぎに八代市内を出て、九州自動車道を走ったところ、午前11時過ぎにはかごしま近代文学館に着くことができた。学芸員のYさんが応対してくださり、展示をじっくり観せてもらった。8年前に「島尾敏雄展」を見学に来た時も感じたことだが、ここは建物も立派だし、館内もちゃんとしている。鹿児島県関係の文学者について行き届いた展示・解説がほどこされていて、じっくり時間をかけて観て回ることができる。このたびの「島尾ミホ展」も充実していた。ミホさんの経歴について説明が実に詳しいし、著書や遺稿・書簡・写真類もつぶさに観ることができる。直筆の筆跡を観ていると、ミホさんの字は流麗であると同時に堂々とした趣きがある。夫の島尾敏雄氏のそれが細くて、小さめで、神経質であるのとはまるで趣きが違うから、
「どちらが男で、どっちが女なのか、分からなくなりますね」
ついつい冗談を言ってしまった。
もっとも、著書は、わたしも島尾敏雄氏のものだけでなくミホさんの方のも持っている。筆跡については、お手紙を何度もいただいたことがあるので分かっていた。無論、実物にもお会いしている。だから、はじめて目にするような新鮮味はない。むしろ、懐かしいので、「お久しぶりでございます」とご挨拶したい気分であった。
友人たちは、珍しそうに見入っていた。
わたしにとって貴重だったのは、2003年(平成15)5月に弦書房から刊行された島尾ミホ・石牟礼道子対談『ヤポネシアの海辺から』、これが本を展示してあるだけでなく対談の時のお二人の実際の声が一部分だけであるが聴けたこと、これは嬉しかった。
対談は、鹿児島県吹上町(現在、日置市吹上町」)吹上温泉のみどり荘という老舗旅館に泊まり込んで2日にわたって行われたそうである。ちなみにみどり荘は島尾敏雄氏が愛好した旅館で、名作『死の棘』の最終章はここで執筆されている。そして対談記録は、1991年(平成3)1月6日から5月19日まで20回にわたって「ひと風土・記憶の巡礼」との題で南日本新聞に掲載されている。それを再構成し、ご両人によって加筆訂正がほどこされた後、12年後に単行本化されたことになる。わたしはこの本の末尾に解説文「ヤポネシアの海辺から」を弦書房の初代社長・三原浩良氏から依頼されて執筆した。解説の題が「本の内容とピッタリだ」との三原氏の言で、そのまま書名にもなったといういきさつがあるので、懐かしい、思い出に残る本だ。だが、そのようにして解説を担当しながら、それはゲラ刷りを見ながらの作業であった。現場に居合わせたわけではなかったので、このたび実際の対談の声を聴けたのはほんとに幸運であった。
ご両人は、多分、初対面だったはずだ。もし以前に会ったことがあるとしても、長時間だったわけではないだろうと思える。つまり親しい間柄ではなかったはず。しかし、流れてくる声はいたって落ち着いており、伸び伸びとしてリラックスした雰囲気すら感じられた。島尾ミホ・石牟礼道子、この2人は実に感性が共通しており、通じ合うものが多かったのであったろう。近代的知性を身につけた女性でありながら、同時にまた太古の昔へと無理なく遡って行けるような感性をもたっぷり持った御両人。だから、あの対談『ヤポネシアの海辺から』はたいへん面白かったし、解説を書くにもやり甲斐があった。
それから、1973年(昭和48)刊行の島尾敏雄氏の著書『東北と奄美の昔ばなし』(創樹社)には、ミホさんによる「鬼と四人の子ら」の朗読がソノシートに録音されて付録としてついていた。10分余のものであるが、今回は、その声も味わうことができた。
「ムカシ、ダーガロ ナン、アンマ トゥ ユタン ヌ クワ ヌ ウタム チ」
この奄美加計呂麻(あまみ・かけろま)弁による語り出しを標準語に訳すれば「昔、どこかに母親と4人の子どもがおったとさ」となるが、聴いていて理解できるのは最初の「ムカシ」だけである。後は外国語の前にいきなり曝されたようなものではなかろうか。だが、意味が通じなくてかまわない。ミホさんの声が、それ自体澄みきった美しい音楽である。あるいは、森の中で鳥の声を聴いているようなものだ、と言い換えてもかまわない。これは実際に聴いてみないと分からぬだろう。じっと聴き入り、最後は「ニヤー ガッサ ド」で終わる。これは「もう、これだけだよ」と言っているのである。その間、聴き手は奄美の言葉に、詩情に、音楽のような響きに、うっとりと聴き入り、実に幸せになれる。
男3人、代わる代わる聴いた。その間、傍にいてくれた学芸員さんはさぞかし退屈であったろう。Yさん、お世話になりました。