第430回 コタローが吠える

前山光則 
 
 毎日、散歩する。
 どんな時間帯に歩くかといえば、つい最近まで朝早くであった。夜の10時半頃に寝床に就き、午前4時半前後には起きるという習慣をつづけている。だから、5時頃からは外へ出るのである。歩く時間は、おおよそ30分から40分程度であろうか。近場で引き返す際には30分かからないこともある。
 わたしの場合、恵まれているなあといつも思うのであるが、つまり住んでいる場所が、球磨川が不知火海へと流れ出る直前のところにある。本流と分流との間に囲まれた、三角洲。だから、どの方角に歩いても川岸に立つことができるので、堤防の上からゆったり景色を眺める爽快感は格別のものがある。 
 春から秋にかけて、早朝の散歩は清々しい。とりわけ夏など、午前5時頃に外へ出れば、涼しい。昼間の暑苦しさなどどこへ行ってしまったかと思うほどに空気が澄んで、爽やかだ。どんどん歩いて、川岸へ出て、眺め渡す。海に近い川のひろびろとした景観は、心が和む。川岸に立って、軽く柔軟体操なぞしてから前方を眺めていると、あちこちでチャポンと音を立てて魚が跳ねるが、あれはボラであろうか、何であろうか。
 しばらく、ただただ眺めわたす。なんだか、それだけで心が満たされる。
 そのような早朝の散歩をする人は、案外多い。川岸で出会う人の数は、10人を越えるほど。お互いに、すれ違う際にはどちらからともなく、
「お早うございます」
 と挨拶を交わす。会話することなどは滅多にないが、たまに、すれ違うときに、
「いつまでも暑かですねえ」
「雨がちっとも降らんですなあ」
 などと言葉を交わすこともある。
 うるさいのも居る。
 わたしの住んでいる斜向かいの家には白い小犬が飼ってあり、そこの奥さまΤ女さんが、毎朝、わたしと同じ時間帯に散歩をなさる。目玉はえらく大きいものの体長がせいぜい40センチ程度でしかないその犬には、コタローという名前がつけてある。人間でいえば80歳に達しているような年寄りなのだそうだが、しかし元気が良くて、かならず朝早くから出歩きたがる。で、それは結構なこととして、困ったことにこのコタローが、わたしを見かけると必ず、
「ワウーン、ワン、ワン、ワンワン」
 やたらと吠え立てるのである。他の散歩人に対してはまことに大人しいのに、わたしに対してだけ狂ったように吠える。うるさくって仕方がない。だから、なるべく気づかれぬようにして距離をとり、姿を見られずに済むよう努めるのだが、相手はたいへん勘が良い。直きに気づいて、
「ワウーン、ワンワン、ワンワン」
 必死になってわめく。Τ女さんが、
「ダメよ、ほら、こっちに来なさい」
 わたしの姿が見えなくなるようなところまで引っ張っていこうとなさるのだが、コタローは激しく抵抗する。わたしの方を向いたまま、両の前足で盛んに進もうと逸りつつ、しつこく「ワン、ワン、ワンワン」である。近寄って撫でてやっても、なおさら「ワンワン、ワンワン」だ。いや、これには毎度困ってしまうのであった。吠えられてしまうのは構わないとして、まだあたり一帯ほとんどの家が寝静まった状態なのだ。近所迷惑となってしまう。わたしとしては、Τ女さんに朝のご挨拶を済ませた後は、そそくさとその場から姿をくらまして別の道へと出るしかない。
 さてその散歩の時間帯であるが、日の出は春夏秋冬でズレていく。秋から冬へと季節が移り、おてんとうが遠くの山の上に現れる時間は徐々に遅くなっていくのだった。
 今年に入って間もないある朝、午前5時、例によって寝床を出て、顔を洗って、着替えてから家を出た。まだ世の中はまったく闇に沈んだまま。そして、しんしんと寒かった。
 こういう時季には、懐中電灯とかペンライトを携えて歩き回るようにしている。そして、もう、川へと足は向かわない。むしろ街の大通りの方へ歩いて行けば、街灯が連なっているからだいぶん助かる。よくしたもので、どこの家々もまだしんと静かな状態であるのに、大通りにはすでに結構車の往来が見られるのだった。歩いていて、やや排気ガスの臭いが鼻につくほどであった。
 でも、その日は、思い切って大通りを外れて、球磨川の分流、前川の方へと出てみた。川幅は200メートルをゆうに超えているだろう。堤防の上から見わたすと、対岸に街の灯が見える。風もなく、そう寒くもなかった。
 ただ、堤防沿いに歩いたが、どうも気が晴れなかった。それは寒いからだけでなく、あたりがよく見えないからであった。なんといってもまだ暗い。そして、暗い中、何人かとすれ違ったので、
「お早うございます」
 と挨拶をしておいたが、応えてくれたのは一人だけ。後の人は無言であったから、なんだか不気味なほどであった。
 見上げれば、空には星がいっぱいだった。これは、天気が良い証拠。後でおてんとう樣が現れてくれれば、気持ちいい青空が広がるに違いなかった。
 いや、そういうふうに思いを巡らす頃になって、初めてピカーッと閃いた。うん、そう、そうなんだ。暗いうちから散歩しようというのが間違っている。これまで朝早くから散歩する習慣をずっと保ってきたが、それで良いものであろうか。まだまったく世の中が暗い状態、それなのにわざわざ着膨れて、懐中電灯とかペンライトとかに頼りながら近所をさまよう自分。顧みて、なんだかネクラだなあ。……うん、そうだ、よし、もう午前5時からの散歩は止め、止め。明るくなってから歩くことにしよう!
 だから、翌日からスッパリ切り替えた。すなわち、散歩するのは午前10時半頃から、と改めたのであった。いや、なぜそのような時間帯にしたのかと言えば、9時には行きつけの喫茶店が営業開始である。そこへ行って珈琲を啜り、店の人たちとお喋りするのが毎日の楽しみだ。そう、そのようにひとしきり珈琲タイムを過ごした後に帰宅すれば、10時を過ぎた頃、ということになる。
 それから改めて散歩すれば良いわけだ。
 家を出て、川へと向かった。堤防まで出るのにものの5分もかからない。川岸に立って、見わたすと、対岸の街景色は言うまでもないこと、はるか下流のほうには河口あたりが見える。そして、その日も天気が良くて、青空が広がっていた。風もなく、うらうらとして、なんだかもう春が来たのであるかのような日和であった。
 ――あーああ、もっと早く切り替えればよかったんだ。
 そう思った。実に簡単なことなのに、なんでまた今まで朝早くの時間帯にこだわってきたのだったろうか。自分自身のことが滑稽に思えてしかたなかった。
 と、その時、
「ワウーン、ワン、ワン、ワンワン」
 コタローが近づいてきた。吠えまくるコタローをΤ女さんが、例によって、
「これ、コタロー、止めなさいってば」
 としきりに窘(たしな)めるのだが、吠え止まない。Τ女さんは、気の毒そうに、
「すみません、いつもこの子が吠えてしもうて」
 とおっしゃる。やあ、そうなのか。Τ女さんも、夏場は日の出前の涼しい時間帯に犬を連れて散歩していたが、今はもう明るくなってからの時間帯に切り替えているわけだ。思えば、世の中の散歩好きな人たちは、たいていそのように賢明な判断をしているのであろう。わたしなどは、愚直に早朝の時間帯にこだわってきたために遅れをとってしまったわけだ。
「ワンワン、ワンワン」
 コタローは吠え止まない。
「おう、よし、よし」
 撫でてやろうとして近寄ったが、例によってなおさら激しく「ワンワン、ワンワン」である。
 だが、その時わたしは初めて気づいた。コタローは、さほど長くもない尻尾をやたらと振っているのである。あ、いや、そうだったのか。これには今まで暗いところでばかり出会わしていたせいか、気づかなかったなあ。とにかく、コタローは、尻尾を盛んに振っている。うん、うん、そうかい、分かった、分かった、ほんと、分かったよ。お前の気持ちは理解できたつもりだから、頼むから、な、静かになってくれ。

球磨川の河口近く ここから約2キロほど先で球磨川は不知火海とつながっている。