前回は橋幸夫の「雨の中の二人」にまつわる思い出話を記してみたのだが、そのように歌謡曲に触れてみると、もう一つ忘れられない歌がある。
それは、春日八郎が歌った「お富さん」である。
粋な黒塀 見越しの松に
仇(あだ)な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店(げんやだな)
刑部芳則著『昭和歌謡史』によれば、この歌は昭和29年(1954)8月にキングレコードから発売されている。はじめは岡晴夫に歌わせることになっていたが、岡がキングレコードを退社してしまったため春日八郎に回ってきたのだという。そして大ヒットした。
そう、当時えらく流行(はや)ったのだ。わたしなどはまだ7歳で、人吉東小学校の1年生だったが、みんなで河原や広場で遊びながら盛んに歌った覚えがある。
「お富さん」が歌舞伎の演目の一つ「世話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」を題材にしている、ということは大人になってから知った。そして、歌詞には原作の第三幕目に出てくる場面が物語られている。通称「切られの与三」つまり与三郎は、お富と深く惚れあっていながら道ならぬ恋だったため仲を引き裂かれ、離ればなれとなってしまった。お互い、生きているか否かさえ分からぬ状態。ところが、三年後ごろつき仲間に誘われて金を強請(ねだ)るため或る妾宅(源氏店)に来てみたら、何と、そこにはお富がいるではないか。
そこで、与三郎は、頬被りしていた手拭いを取っ払って、「モシおとみ、イヤサおとみさん、コレおとみ、久し振りだなア」と語りかけるわけである。
過ぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の痕(あと)
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名(よびな)も切られの与三よ
これで一分(いちぶ)じゃ お富さん
エッサオー、すまされめえ
お富としては、ここで自らの過去が周りに知られてはたいへん都合が悪いものだから、おとなしく帰ってもらいたい。口止め料として金を「一分」だけ渡そうとするのであったが、いやいや、そんな程度の金で引き下がれるものか。だから与三郎は「エッサオー、すまされめえ」と凄んでみせるという、有名な場面である。
ともあれ、「世話情浮名横櫛」は世話物(せわもの)歌舞伎の名作だ。
当時のわたしたちは、このような大人の二人の生臭い事情などさっぱり分かっていなかった。というか、中身について詳しく知ろうともせず、ただただ、無闇やたら「エッサオー、源冶店」「エッサオー、すまされめえ」と声を張り上げれば、なんとも心地よかったのであった。そして、「お富さん」を歌ったのは、春日八郎だ。この人の高らかな艶のある声が心地よくて、幼いわたしたちはすっかりハマってしまっていた。
春日八郎は、「お富さん」以前には「赤いランプの終列車」「雨降る街角」等を歌っており、すでに結構知られていた。しかし、子どもも口ずさめるようなものだったかと言えば、ちょっと馴染みにくい面もあった。これは「お富さん」以後もそうであって、「別れの一本杉」などは名曲だ。名曲ではあるものの、子どもが気軽に歌えるような感じではない、と思う。その点、「お富さん」にはすぐに馴染んだのであった。
無論、幼い子どもたちには、大人の世界の複雑に絡み合った事情など理解できるはずもない。というか、ドロドロとして生臭い男女の話だから、この流行歌「お富さん」は、ほんとは子どもたちには与えてならぬものであったはず。でも、当時まだテレビはまったく田舎には見られなかったものの、ラジオはどこの家庭にも普及していたので、「お富さん」はじゃんじゃん歌番組に現れ、流行した。大人だけでなく子どもたちもラジオには親しんだのだから、わたしたち田舎の小学生にもアッという間に広まった。だから、広場で遊びながら、あるいは登下校時でさえも、盛んに「粋な黒塀 見越しの松に……」などと声を張り上げていたわけである。
かけちゃいけない 他人の花に
情かけたが 身の運命(さだめ)
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜はさしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エッサオー 茶わん酒
わたしたちが歌うとき、大人たちがどういう反応を示したかは、まったく覚えていない。ただ、少なくとも「歌うな!」と咎められた記憶はない。しかしながら、褒められたりもしなかったので、だから、やはり、子どもたちの歌うのを好ましく思うことはなく、大人たちは内心「困ったもんだ」と苦々しく舌打ちしていたのかも知れない。
いや、しかし、歌の中身についてサッパリ理解できていなくとも、とにかく歌っていて心地よかった。これはハッキリ言える。そう、わたしたちは、ただ単に元気よく声高らかに歌うのが楽しかっただけなのであった。歌に描かれた与三郎とお富さんとの生臭い愛憎関係など、ちっとも興味なかったわけだ。ただただ、いつも気分良く「かけちゃいけない 他人の花に 情かけたが 身の運命(さだめ)」などと声を張り上げていたことになる。
流行歌というものは、おおむね歌の中身によって広く親しまれるだろう。それは当然のことだ。だが、たまにはこのようにして中身よりもメロディの心地よさや歌手の声の親しみやすさ等が先行して流行(はや)る場合も、あるのではないだろうか。
逢えばなつかし 語るも夢さ
だれが弾くやら 明烏(あけがらす)
ついて来る気か お富さん
命短く 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エッサオー 地獄雨
この歌詞のうち、「だれが弾くやら 明烏(あけがらす)」、これは新内節「明烏」のことではなかろうか、と、今になって察してみるのだが、「お富さん」が流行った当時、大人でさえもそのように考えてみる人などは少なかったはずだ。ましてや子どもなどに理解の及ぶはずもなかった。とにかく、わたしたちは、あくまでも曲の調子の良さ、春日八郎の声の魅力に引っ張られていたのだった。
そして、今でも「お富さん」を口ずさんでみると心が弾んでくる。春日八郎の朗々たる歌い方が記憶の中に蘇り、うん、やはりあの歌手は良かったよな、と、しみじみ思う。
2024・11・7