前回と前々回は石川啄木の短歌作品を味わったのだったが、そうしたら、ふと、岸上大作のことが思い浮かんだ。そして、歌集『意志表示』(角川文庫)を久し振りに読み返したくなった。一般にはほとんど知られていない歌人だろうが、しかし、わたしは若い頃に愛読したのである。
意志表示せまり声なき声を背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
呼びかけにかかわりあわぬビラなべて汚れていたる私立大学
全学連に加盟していぬ自治会を責めて一日の弁解とする
ライターの点かぬまま煙草くわえおり見抜かれながらポーズの一つ
地下鉄の切符に鋏いれられてまた確かめているその決意
戦後のいわゆる現代短歌の変遷に知識がある人なら、最初の「ただ掌の中にマッチ擦るのみ」を見てすぐさま次の一首を思い浮かべるだろう。つまり、寺山修司の作品。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
これである。岸上大作にとって、寺山修司という存在は自分たちのすぐ前を進んで行くたいへん優秀な先輩歌人だったので、影響は確かに自ずからこのようなかたちで反映されたのだと思う。そしてまた、全体に漂う叙情性といおうか、ものの感じ取り方、それはどうも啄木と共通の詩情を有しているように思えてならない。
岸上大作は、どのような経歴の持ち主であるかというと、角川文庫版『意志表示』の巻末年譜によれば、昭和14年(1939)10月21日、兵庫県神崎郡福崎町に生まれている。寺山の方は昭和10年(1935)12月生まれだから、岸上はその4歳下ということになる。そして、昭和33年(1958)、国学院大学文学部文学科に入学する。すでに高校の頃から短歌に目覚めていたので、入学後さっそく有志を募って同人誌「汎」を始めたり、国学院短歌研究会に入ったりする。ただ、よくタンが出るため結核ではないか、と悩みを抱えて過ごしたようだ。
さらに、昭和35年(1960)、これはいわゆる「60年安保」の年である。国学院短歌研究会といえどもこの問題に無縁ではあり得ず、岸上大作は、5月、メーデーに参加する。そして、同月13日には全学連主流派のデモにも加わった。幾度かデモが行われた後、極めつけが6月15日である。この日、国会構内で全学連による抗議集会が行われたが、そのさなか岸上は警官の棍棒で頭を割られてしまい、2針縫う軽傷を負ったのであった。ちなみに、この日は『意志表示』巻末年譜に「東大生の樺(かんば)美智子さんが殺される」と記されているとおりの、実に痛ましい事態が発生している。
すなわち先の一首目は、日米安保条約に反対する大きな動きがある中、まだ行動に踏み出せず、躊躇するところがあった、だから「ただ掌の中にマッチ擦るのみ」なのであった。しかし、岸上は前へと踏み出して行った。だから、2首目から5首目はすべて抗議行動の中での情景や自身の思いが謳われていることになる。自身で悩ましく躊躇するところもありながら、やはり、止むに止まれぬものが岸上を動かしたわけだ。まことに「60年安保」は、騒然とした熱い政治的事件であった。
岸上大作は、この年の12月5日午前3時頃、ブロバリンという薬剤150錠を服し、さらにはロープを使って縊死(いし)する。弱冠21歳、激しく吹き荒れた政治的季節の中で、これはあまりにも早すぎる死だった。何が決定的に彼を死に追いやったのかはっきりしないが、とにかく日本中が「日米安保条約」を巡って騒然としていた時期、この有能な歌人は若くして世を去ったのである。
呼びかけにかかわりあらぬビラなべて汚れていたる私立大学
全学連に加盟していぬ自治会を責めて一日の弁解とする
地下鉄の切符に鋏いれられてまた確かめているその決意
〈学生ノ歌声ニ若キ友ノ手ハアアイツノ日ニサシノベラレン〉
闘わぬ党批判してきびしきに一本の煙草に涙している
いわゆる「60年安保」という大きなうねりの中で、彼はこのように全身で思いを詠ったのであった。そして、思いが深ければ深いほど、安保条約が成立し、自分たちの敗北が明らかとなった時、その挫折感は大きかった。岸上は自らの負荷を負いきれずに命を絶ったのであろう。
今度久し振りにこの人の歌集を読み返してみたが、若くしての自死はなんとしても惜しかったよなあ、と思う。たいへんに才能豊かな歌人であった。そのことはすでに引いた作品ですでに証明済みであろうが、さらに角川文庫版『意志表示』には高校時代の習作も収めてある。読んでみると、実にまことに豊かな天分がそこには記されている。
当番で集めし税金一万円枕にしきて母は眠りぬ
おろかなる己が半生顧みず現実に生きよとひたに説く母
先生の思いすごしで叱られしその憤(いきどお)り今も忘れず
美しくピアノ名曲流れ来る日曜の朝はいつまでも眠し
ぼくだけがとりのこされたようにぽつねんと歌書いている自習の時間
まだうら若い高校生が、すでにこのようにもしっかりした短歌を詠んでいたのだ。最初の2首、母親に対する観察は鋭い。母への暖かい思いはありつつ、やはり集めてきた現金を枕にして寝たり、自らの半生を顧みることなく自分へ説教する母親について、その実像を岸上の歌は鋭く抉り出している。3首目、教師への批判的なまなざしは普通の高校生とさして変わらぬふうである。だが、4首目と5首目は、どうだ。いかにも若さ溢れる高校生の真情、しかしながらそのような自身をちゃんと見据えての歌ではないだろうか。だから、共感せざるを得ない。とりわけ最後の歌に「ぼくだけがとりのこされたように」と詠むのは、実に若い時期に特有の孤独感だと言えよう。
こうした感性の持ち主、多分、啄木をしっかり愛読したはずだと思う。やがては寺山修司の短歌にも出会ったであろうから、反安保闘争の渦中、「意志表示せまり声なき声を背にただ掌の中にマッチ擦るのみ」と詠んだのだった。
現代短歌界の中で、今、この人がどの程度評価されているか、あるいは無視されてしまっているのか、詳しいところを知らない。しかし、久し振りに『意志表示』を開いてみたが、やはり岸上大作は味わい深い歌人だな、と感心する。その早過ぎる死は、つくづく勿体ないことだったのだ。
2026・5・2
