前山 光則
10月に入って、ひと息ついている。例年、9月中はいつも「九月は日奈久で山頭火」の諸行事があって忙しいが、今年はまた一段とあれこれ雑用に追いまくられたのである。
「九月は日奈久で山頭火」が始まったのは、平成12年である。日奈久温泉には山頭火の泊まった木賃宿が当時のままの姿で遺っている。これを、愛好家たちが気楽に見学できるようにしよう。ついでに9月いっぱいかけて俳句コンクールやシンポジウム等いろいろの催しを実施して愉しんでもらおうや、というわけで市民有志が集まってスタートしたのだが、地元の反応ははかばかしくなかった。よその人間が温泉街に入り込んでヘンな遊びをしておる、という声が結構届いた。山頭火はまっとうな家庭生活ができずに放浪し、作る俳句も定型からはずれた一行詩みたいなものだし、こういう俳人のことをすぐに理解せよというのが無理な話だった。その第1回の時には、シンポジウムで故・松原新一氏に「山頭火・その『旅』の意味」と題して講演してもらった。実生活でも文学の方でも行き詰まって放浪した経験を持つ松原氏には、以前から山頭火のことを語ってもらいたいと思っていたから、それが実現したわけであった。
あれから毎年続けてきて、今年で14回目だった。「九月は日奈久で山頭火」の期間内に行われる種々の催しへの参加は回を追うごとに増え、日奈久温泉の宿泊客もだいぶん多くなってきた。裏方をつとめるスタッフの顔ぶれも、以前は年配者ばかりだったのに、この頃は若い人も目立つようになった。どうも、今はすっかり八代市日奈久温泉の年中行事として根づいてしまっているわけで、やめようにもやめられない状態になってきたようだ。
今年のシンポジウムは、東京都板橋区在住の詩人・山口敦子さんに「私が山頭火に出会った時」と題してご自分の詩作と山頭火の俳句との接点について語ってもらった。山口さんには『旅路—山頭火の世界へ』というユニークな詩集があって、「山頭火も/人々の”血”を吸って歩いていたな/あれはきっと/蚊に”献血”をしていたのに違いない」(「蚊と豚」)などと山頭火への親近感をおもしろく表現なさる。詩人離れした元気な方で、山口さんの講演の様子を「ぶっ飛びパワーだね」と評した人がいたほどであった。こんなふうに、毎回色んな個性を持つ講師に存分に喋ってもらうだけでもやりがいがある。
シンポジウム冒頭では、1分間黙祷をして故・松原新一氏の死を悼んだ。夜の交流会の時には壇上に椅子を置き、その上に遺影を掲げ、花束を添えて、それを見上げながら酒を酌み交わした。松原氏が亡くなられたのはつい最近、8月13日であった。松原さん、企画・運営等のいろんな面でいつも相談にのってくださり、ありがとうございました。おかげでここまで続けて来ることができました。