第201回 渋温泉

前山 光則
 
 9月1日から3日までは、長野県の渋温泉で遊んだ。ここは長野市から長野電鉄で50分ほど揺られて、終点の湯田中まで行く。そこから迎えの車で10分弱のところにある。
 ここでの2日目、午前中は朝飯の時に知り合ったオーストラリアからの若い旅行者アンジェリーカさんを誘って地獄谷の野猿公園へ出かけた。わたしは英語がダメだが、女房は気楽に喋って仲良く歩く。地獄谷には猿たちがウヨウヨいて、岩風呂に浸かったり、川原や岩場で戯れたりしている。とりわけ今年の春先に生まれた子猿たちが可愛かった。午後は、女房と2人でバスに乗って志賀高原へ行った。高原では、標高2307メートルの横手山にスカイレーターやリフトを乗り継いで上がって行ける。頂上のヒュッテでは各種の料理の他、パンまでも製造していた。山上の涼しい風に吹かれながら「雲の上のパン屋」の餡パンを頬張るのは、いい気分であった。とにかく一日中めいっぱい遊んだのである。
 いや、それより渋温泉そのものが魅力的だった。昔の草津街道の雰囲気が色濃く残る町並みだ。34軒の旅館が密集する中、よく知られているのが街の中心部の木造4階建て金具屋で、宿屋を始める前は松代藩出入りの鍛冶屋だったのでこの名があるそうだ。宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」に出てくる油屋という宿は、この金具屋の他いくつかの建物がモデルとされているらしい。わたしたちが泊まった宿も木造3階建てで風情があって、なんだか渋温泉にいると江戸時代にタイムスリップした思いであった。「厄除巡浴」と称する9ヶ所の外湯巡りも愉しめた。宿屋から巡浴手形をもらって、1番の「初湯」から9番「渋大湯」まで順に浸かってまわる。しかる後に近くの高薬師にお詣りすれば満願成就となるそうだが、わたしは6番まで浸かって時間切れ。宿の美人女将からは、「次に来た時に残り3ヶ所を巡れば、成就しますよ」と慰められた。宿の風呂に3回以上入ったから、両方合わせて満願成就、ではアマイかな?
 ところで温泉街のいろんな所で句碑が目についた。1メートルほどの石柱に「誰(た)が嗅いで見て譬えたか河童の屁」「其の腰で夜も竿さす筏乗り」などと川柳が刻まれている。しかもピンとくるのもあれば、「見付けたら六つにすると馬鹿亭主」「真っ直ぐな樫木(かたぎ)の棒を母の杖」等は理解できない。宿の女将に聞いたところ、なんとすべて葛飾北斎の作であった。北斎は絵を描くばかりでなく、手すさびに川柳もひねっていたわけである。近くの小布施(おぶせ)にたびたび訪れているので、渋の人たちも親しみを持っている。それが高じて温泉街の中に187基にのぼる北斎川柳句碑が建てられたのだそうで、宿六心配(やどろく・しんぺい)著『北斎は川柳も詠んでいた』(渋温泉旅館組合・刊)という解説本まである。実に感心した。
 
 
 
写真①夜の温泉街

▲夜の温泉街。夜の渋温泉は静かである。しかし、「厄除巡浴」をする人たちの姿を見かける。若い人が結構多かった。人気があるのだ

写真②金具屋

▲金具屋。ここは11年前に国の登録有形文化財に認定されたのだそうである。昼間見て堂々たるたたずまいに魅せられたが、夜景はまたさらに良かった。泊まり客で賑わっているふうだった

写真③山道にて

▲山道にて。地獄谷の野猿公園がもう間近くなった頃、道端に子猿がいた。春先に生まれた子猿が、秋の初めのこの頃になると結構行動範囲が広がるので、山道どころか渋温泉の中にまで姿を現わすそうである

写真④入浴する野猿たち

▲入浴する野猿たち。気持ちよさそうだ。ただ、入浴を好むのは子猿と雌猿で、雄の大人猿は毛が濡れるのを嫌がって温泉には近づかないのだそうだ