第235回 「黒餡」 か「赤餡」か?

前山 光則

 こないだ水俣へ出かけた時、地元育ちのI氏と一緒に町を歩いていて、大きなマーケットの横に回転饅頭の店を見かけた。「ここに支店があるんですか」と訊ねたら、「昔からそうですが……」、I氏は怪訝そうに応じた。
 その回転饅頭屋は、本店が同じ水俣市内の別の町内にある。ふっくら豊かな焼き上がりの饅頭で、しかも蜂蜜が含まれているのでとてもおいしい。支店が熊本・福岡・宮崎・鹿児島各県に全部で十四店舗もあるらしいが、わたしの育った熊本県人吉市にも昭和30年代半ば頃に現れた。他の回転饅頭屋がサッカリンを多用していた時代、本物の砂糖のみならず蜂蜜までも使用してあるので、味わいが抜群であった。「いわば、回転饅頭界の王様でしたよ」とI氏に思い出話をしたら、I氏は生まれ落ちたときからこの蜂蜜入り回転饅頭に慣れ親しんで来ているから、はじめ、格別の感情などないかのようであった。しかし、やがて表情を変えて「これを買って帰って、おやつに食べよう!」、そしてつかつかと店に入って行き、出来たてのホヤホヤを20個包んでもらうのだった。黒餡が17個、白餡は今3個しかないとのことであった。
 I氏の自宅へ赴いたところ、10人ほどの客があった。包みをほどくと、焼きたての回転饅頭の甘い香りが座敷中に広がり、それだけで雰囲気が和んだ。さて、回転饅頭を食べる際に、黒餡を選ぶか、白餡の方をとるか。これは人それぞれの好みだ。黒餡の方には小豆を用いてあるし、白餡は小粒のインゲン豆が使われているのだそうだが、わたしなどはどうしても黒でないと満足しない。でも、白餡を選ぶ人も結構多いと思われる。「白餡はねえ、3個しか残ってなかったのよねえ」とI氏が皆さんに説明したところ、80歳近いお婆ちゃんが「良かよ、あたしは赤餡だ」と声を上げた。エッ、「赤餡」って、何だ。わたしだけでなくたいていの人がとまどいの表情で、I氏の叔父にあたる老人が「どぎゃんとが赤餡かい?」、呟くように訊ねた。他の人たちも「赤餡ちゅうは聞いたことがなか」と同調した。だが、お婆ちゃんは怯まず、「ほれ、これ」と黒餡の饅頭を手にとってみんなに示して、するとみなさんが「だからこれは黒餡たい」、口を揃えて反論するが、「いいえ、何のこれが黒いものですか。ほれ、黒くなんかなかとばい」と自信たっぷりである。
 なるほど、眺め直してみれば「黒餡」は、強いて言えば赤褐色であろうか。それなのにわれわれはなぜまた「黒餡」と呼び慣わしてきたのだったろう。「こっちはな、キナ餡ばい」とお婆ちゃんは白餡の方を指差す。うむ、これもまた単純に「白」と言い切れない色ではある。「あんた、これは黄(きな)じゃなかばい」「そうよ、白よ」「うんにゃ、黄色」、ひとしきり侃々諤々の餡の色談義が続いたのであった。色の判定はなかなかにムズカシイ。
 
 
 
写真 色づく稲田

▲色づく稲田。もうだいぶん良い色になってきた。台風にやられて実り具合は悪いのだそうだが、見た目には豊作という感じである