前山 光則
4月24日に、家に戻った。地震はまだ頻繁に発生しており、日に何回も揺れを感じる。被害のひどかった地域の人たちはこれからが復興のためのイバラの道、大変である。
それはそれとして、4月12日の毎日新聞の記事が気になっている。千葉県市川市の社会福祉法人が今年の4月開園を目ざして計画してきた保育園設立を断念した、と報じられていたのである。木造2階建ての園舎に、ゼロ歳から5歳までの児童を108人預かる計画だった由。市川市の待機児童は昨年4月時点で373人居り、これは全国市町村で9番目に多いとのことだ。100人余が入れる保育園が開園するなら保護者たちは大助かりだったはずである。ところが、「昨年8月に開園を伝える看板を立てたところ、反対運動が始まった」のだという。市や社会福祉法人と反対住民との説明会や話し合いが複数回行われたものの、「子供の声が騒音になる」「保育園が面する道路は狭いので危険だ」などの意見が強かった。園舎建築が予定されていた場所は閑静な住宅街で、高齢者も多いようである。静かな日々を過ごしたいのに、保育園が出来てしまったら「子供の声が騒音になる」というわけだろう。それで社会福祉法人は3月の理事会で断念を決定したのだそうだ。しかし、ゼロ歳から5歳までの子どもたちが集まって朝から昼までの一定時間を園内で保育された場合、それは「騒音」だろうか。反対する住民たちは、生まれ落ちたすぐから大人だったはずがなく、自らもかつてヨチヨチ歩きのあどけない子どもだったことを思い出すべきだろう。未来ある子どもたちのために、環境を整備してやることが大事である。
数年前、近所のアパートに或るお婆ちゃんが半年ほど居住したことがある。山村に暮らしていたのだが、事情あって精神的に疲れきってしまい、街へ出て来た。すると、アパートのすぐ前が保育園である。朝から子どもたちのワイワイ、キャッキャという声が聞こえるのが愉しみで、いつもドアの外に立って彼等の駆けっこや遊びを見物した。やがて園児たちと仲良しになり、先生たちとも顔見知りになる、果ては運動会のとき先生や子どもたちが迎えに来て、テントの下で見物させてくれるまでになった。こうなれば、「来賓」である。お婆ちゃんはすっかり元気回復し、山の中へ戻った。今は人吉市の有料老人ホームに入っており、九十歳を超えて今なお矍鑠(かくしゃく)たるものである。園児たちがどんな役割を果たしてくれたかは明らかだろう。
市川市の場合、反対理由は「騒音」だけではない。「保育園が面する道路は狭い」というのは本当で、確かに狭い道路だと児童の送迎などで混雑するし、危険で、なにかと大変だろう。市当局が乗り出して、道路問題に取り組むなり近隣の土地を探すなりして社会福祉法人を支援してやれなかったのだろうか。