前山 光則
今度の「熊本地震」は不気味である。発生後一週間経って、まだ収まる気配がない。
最初の一撃は4月14日(木曜)の午後9時20分過ぎだった。早寝早起きの常としてすでに寝床に入り、ウトウトしていた矢先にドーンと来た。激しく縦に揺れた後、横揺れが始まってビックリし、飛び起きた。本棚が倒れて来はしないかと危惧したが、何冊かが落ちただけで済んだ。棚をきつく固定しているので大事に至らなかったのだろう。テレビをつけたら震度5強との発表があり、ただならぬ事態が始まったのだと覚悟した。以後、なかなか眠れぬ毎日が続くことになった。そして徐々に状況が明らかになって来て、益城町や熊本市等でたくさんの家屋が倒壊したとか土砂崩れが起きた、死者が出たとの報が相次ぐ。これはほんとに大変なことになった、と痛感した。落ち着かないのが「余震」で、横になっているとドドドと来る、起きて片づけものをしていて激しく揺れる、こんな時こそ肝を据えなくてはと庭で草むしりしているとユラユラする。さらに、普通知っている地震と今度では違っているゾと思ったのが16日午前1時過ぎ、またもや寝ているところを起こされてしまった。14日よりも強く激しく揺れて、怖かった。1メートルの津波発生との発表があって、これだと台風時の大波の方がよほど怖いくらいで、慌てる必要はない。むしろ次から次に「余震」が来て、こっちの方が不気味で落ち着かない。そうするうちにテレビで、一昨日の地震は「前震」であり、先程のが「本震」と思われるとの発表が行われ、何ということだ、こういうパターンの地震が今まであったろうか、と驚いた。南阿蘇村の惨状が伝わり、また、八代市内では川向こうの町内でアパートが火事になり延焼しつつあるとの情報が入って不安が募った。
震源が大分県方面と八代市方面の両方に広がりつつあるというので、日奈久断層上に住んでいる人間として心配していたところ、19日の午後6時前、親しい友人と電話で語り合っていた最中にドドドドドと激震が来た。家中が揺れるし、物が落ち、体が不安定になって坐り込んでしまう。16日の「本震」よりはるかに強い地震だと感じた。後で震度5弱、震源地がわたしたちの町内の真下だったと発表され、これがきっかけで決断した。夜は家の者と一緒に近くの小学校の体育館に避難して4百余名の人たちと共に過ごし、20日午前5時前に行動を開始した。家に戻って荷物をまとめ、出発。姉さんの家に身を寄せたいという近所の方をも乗せてあげて、4時間半かけて福岡市の娘のところへ避難した。
友人・知人等から電話やメールで声かけが届いて、元気づけられた。だが亡くなった方たちや避難所暮らしの人たち、懸命の復旧作業のことなどを思うと胸が痛む。いつになったら元の平穏な状態が戻ってくるだろうか。