前山光則
わたしは、もう長いこと月に1回御婦人方の読書会の講師を務めている。現在読んでいるテキストは、石牟礼道子著『食べごしらえ おままごと』(中公文庫)。石牟礼さんは、実に料理の名人だったのだ。
これがもうじき読み終わるところまで来ているので、次のテキストを決めなくてはならないわけだが、さて、どんな本が良いか。考えあぐねていたら、読書会会員の中から、葉室麟著『曙光を旅する』(文春文庫)ではどうだろうか、と意見が出た。ほう、それはおもしろいなあ。ぜひテキストにしましょうよ、と、すんなり決定した次第であった。
この『曙光を旅する』は、葉室麟氏が九州内の色んなところへ出かけて行き、各地での歴史的事物や人物について考察を重ねる紀行文集であり、たいへん興味深く読める一冊だ。そんなわけで、『食べごしらえ おままごと』があと二三回で終わったら、次は『曙光を旅する』を読むこととなった。
そして、実は、この本にはわたしにとって忘れられない場面が出てくる。
盛りだくさんのイベントだったから、ひとつひとつについて詳細には述べられない。
島尾とミホが戦時中、逢引(あいび)きをしていたという加計呂麻(かけろま)島の海
岸を炎天下、歩いたときには、石だらけの海岸が歩き難く、照りつける日差しに閉口
して、ゴールで倒れ込んだ。
この加計呂麻島での一場面、わたしは偶然にもそこに居合わせたのである。正確に言えば、それは、平成29年(2017)7月8日、真昼間のことだった。
その年は、島尾敏雄氏の生誕100周年であった。それを記念して、奄美では、島尾氏と妻ミホさんとの出会いを映画化した「海辺の生と死」の上映会や加計呂麻島ツアーが催されたのだった。そこで、わたしも、この生誕100周年記念行事に喜んで参加させてもらった。
映画上映は、7月7日の夜、名瀬市内の奄美文化センターで行われた。はじめ、主演女優・満島ひかりさんと映画監督の越川道夫氏が挨拶。上映時間は155分だった。そう、なかなかの力作だったわけである。そして、翌日は、現地・加計呂麻島へのツアーだった。100名を越える参加者だった、と記憶しているが、島尾氏の長男・伸三氏も来てくれていた。名瀬市役所前を午前8時45分に出発し、バスは約1時間10分かけて奄美大島を南下した後、瀬戸内町(せとうちまち)・古仁屋(こにや)の港へ到着。古仁屋の図書館では島尾敏雄コーナーが設置してあり、みんなでゆっくりと見学した。
そして、その後、古仁屋港で小型船舶が数人ずつを乗せてくれるいわゆる「海上タクシー」に分乗し、加計呂麻島へ渡った。加計呂麻の港は「押角(おしかく)」というところであり、ミホさんの生誕地だ。ミホさんの実家があった大平邸跡を観た。島尾伸三氏の説明では、大平家は辺り一帯の振興にたいへん良く尽くした人だったのだそうだ。
さて、それからが、いよいよ、島尾隊長が駐屯した特攻基地・呑ノ浦(のんみゅら)までの海岸線を実地に歩いて辿ることとなったわけである。行程約1時間余、ずっと岩場がつづいており、結構しんどかった。でも、不思議なもので、「なんとなくみんなに連帯感が生まれる」とわたしは日記に記しており、何人かの参加者と仲良しになることもできたのだった。
そして、ようやく特攻基地のあった呑ノ浦へ到着。そこには文学碑があり、戦死した人たちの墓碑もある。渚に沿った断崖には特攻艇「震洋艇」の格納壕が並んでおり、間近に観ることができた。さて、その壕内に格納された特攻艇だが、これがすべてベニヤ製であった。わたしは、この展示物はえらくチャチだな、とひどくシラケたのであったが、実は、それは甘かった。つまり、それは模型でなくてホンモノだった。震洋艇は、当時すでに物資不足であったため、ベニヤ板を用いるしかなかったのだそうだ。
さて、それからが昼食。わたしは日記に「呑ノ浦の震洋隊のあったところで昼食。文学碑、墓碑も拝む」と書いているのだが、実はこの昼食時に、すぐ近くでグッタリと横たわり、弁当を食べる気力もないような感じの人がいたわけだ。わたしとしては、ちょっとだらしない人だな、と、少々シラケるような思いであった。すると、すぐ傍で弁当をパクついていた人が、この方は福岡県久留米市から参加した葉室麟さんという人ですよ、と、小声で教えてくれたのであった。おや、まあ、そうですか。
いや、葉室氏が記しているように、当日はまことにひどいカンカン照り、炎天下であった。「照りつける日差しに閉口して、ゴールで倒れ込んだ」というのは、この人はほんとにバテてしまっていたのだ。ああ、あの時なぜ親身になって話しかけたり世話してやれなかったのだろう、と、自分の気の利かなさをただただ恥じるばかりである。
葉室氏は、その翌日に名瀬市で行われた梯(かけはし)久美子さんの講演や島尾氏の長男伸三氏の講話について「不思議な神話的世界に引き込まれる気がした」と書いており、無事、島尾敏雄生誕100周年の行事に最後まで参加できたことが分かる。つまり、しっかり元気回復し得ていたわけだから、いや、良かったワイ、と、『曙光を旅する』を読んで今更ながら胸を撫で下ろした。
実は、島尾敏雄生誕100周年記念行事についてはすでにこの「本のある生活」の第304回「久しぶりに奄美へ」、第305回「加計呂麻の浜辺を歩いた」、第306回「一たす一も知らないで」というふうに、3回にわたって書いている。つまり、かなり詳しくレポートしておいたわけなのだが、しかしながら葉室麟氏についてはまったく触れていなかった。だから、今回、改めて書き記しておく次第である。
それにつけても、である。文庫本『曙光を旅する』表紙カバーにすり込まれた著者略歴を見ると、葉室麟氏は平成29年(2017)12月23日に66歳で亡くなっている。ということは、あの真夏の加計呂麻島ツアーは同年の7月8日だったわけだから、その後この人はわずか5ヶ月余しか生きていなかったことになる。してみれば、あの夏の一日、ひょっとしてすでに氏の体力は相当に衰えていたのではなかったろうか。でも、やはり島尾文学への思いが深くて参加した、しかしながら、結果的にはあのようにもグッタリとくたびれ果てていた……、ああ、今、あらためてジンジンと胸が痛む。
2026・2・2