前山 光則
今度の奄美旅行では、「島尾敏雄生誕100年記念祭」の催しへの参加だけでなく土地の名物も愉しむことができた。第一、3連泊したホテルでは、朝食はバイキングであるが、その中に嬉しいことに鶏飯コーナーもあったのだ。これは、茹でてから細くほぐした鶏肉、金糸卵、煮しめた椎茸、パパイアの漬け物、ネギ、刻み海苔等の具材を御飯にトッピングし、季節によっては香り付けにタンカンの皮の刻んだのも添える。そこへ、鶏スープをかけてサラサラと食べるのである。お茶漬け感覚で食するわけで、酒を呑んだ後の〆や暑い夏に食欲が減退している時など、ありがたい料理である。これを3日連続、しかも自分の好みで具材を加減して食べることができた。
それと、ミキが飲めた。
7月9日、午前中は何も用事がなかったので宿の自転車を借りて町の中へ出てみた。太陽が照りつけて暑いけど、自転車ならば結構あちこち見てまわれる。永田橋市場・末広市場は一度入ってみたことがあり、戦後の雰囲気を遺している。中に入って色々の店を見て見たかったが、あいにく時間がまだ早すぎてヒッソリしていた。旧図書館跡は面影がないものの、すぐ横の島尾敏雄旧居が保存され、庭に文学碑も建てられている。そのようにあちこち巡りながら、旧図書館跡では、昭和46年の夏に初めて来た折り、近くの雑貨屋の店先に「冷やしミキあります」と書いた紙がぶら下げてあったなあ、と思い出されて懐かしかった。ミキって何だろうと店へ入ってみたら、白い色の飲み物がコーラやサイダーの瓶に詰められ、冷やして売ってあったのである。買って飲んでみると、強いていえば本土の甘酒のようなものである。でも、やはり違う。ヨーグルトに似た味わいでもある。強いて漢字を当てるなら、「神酒」とか「御酒」が適当だろうか。しかし、後になって知ったことであるが、甘酒と違って麹菌を用いない。うるち米とサツマイモで乳酸菌発酵させる独特のやり方なので、民俗学者の故・小野重朗氏はこのミキを口噛み酒でもなく麹などカビを利用して作る酒や麦芽に含まれる酵素を利用して作る酒でもないため、「第四の酒」と見なすべきだ、と提唱していた。もっとも、ミキは販売される時に酒類には入らない。賞味期限を越えれば若干のアルコール成分が発生する。だから、その頃合いを狙ってわざと売れ残りを買おうとする人がいるものの、基本的には甘酒と同じである。しかも、甘酒よりも飲みやすくて、甘くて、なんだか元気が出るのだった。聞けば、奄美の人たちは冷やしたミキを夏場に好んで飲むのだという。以来、ミキのファンになった。だから、『山里の酒』(平成11年、刊行)という本を書いた時には、アルコール飲料ではないこの飲み物のこともわざわざ取材しにやって来て、一編まとめたのであった。
しかし、今回、「冷やしミキあります」との掲示は見かけなかった。では、どこに売ってあるだろうか。酒屋さんに訊ねてみたが、置いてない。やはり「酒類」ではないのだ。スーパーマーケット、あるいは製造元へ行けば確実だ、とのことであった。あいにく、マーケットが開くにはまだ時間が早すぎたので、それならば製造元へ行ってみようか。『山里の酒』の時に取材させてもらった花田ミキ店は、港の先の方の佐大熊(さだいくま)で、ちょっと遠い。でも、確かNさんは東米蔵商店のは味が良い、と言っていた。それで、路地で椅子に坐って雑談している4人のお爺ちゃんお婆ちゃんに聞いてみたら、「アゲー、それならば、わりと近くだ」と簡単に教えてくれた。言われた通りに2つほど角を曲がって行ったら、幸町に東米蔵商店はあって、お婆ちゃんと若い女の人がいた。1本買いたいというと、「ミキは、今日は予約でいっぱいで……」とのこと。しかし、冷やしていない1000ミリリットル紙パック入りの製品ならば1本だけある、という。ありあわせのサイダー瓶やコーラ瓶に入れるようなことは、あれはもうはるかな昔の話であり、現在は紙パックか専用の瓶に詰めてしか販売しないそうだ。それで、その紙パック入りを売ってもらったが、値段が300円。安いものである。
宿へ戻る途中、路地を通って、さっきの人たちに「おかげさんで、買うことができました」と報告した。「アゲー、それは良かった」と喜んでくれたが、椅子に坐っていた男の人が、ボソリと「しかしなあ、東のミキは、カタイから」、愚痴をこぼすふうに言うのである。「エッ、カタイって?」、わたしは訳が分からない。そんなやりとりをしていたら、気さくな女の人がフイと自分の家に入って行ったかと思うとコップにミキを入れて持ってきてくれて、なんということ、「これはカタクナイ方のミキ」と差し出してくれたではないか。わたしだけでなく他の人たちにも注いでくれるのであった。飲んでみたら、サラッとしていて、そうか、ではカタイっていうのは粘っこいというほどの意味なのか。今飲んだミキはサラッとしているからカタクナイ……、ようやく了解できたのであった。なんにしても、ヨーグルトっぽい不思議な飲み物だな、とあらためて思う。女の人が飲ませてくれたミキは、奄美市の郊外で作られているのだそうであった。「いくつも製造元があるが、一軒一軒違うからなあ」、一番年上に見えるお爺ちゃんが笑いながら言った。どこの製造元のミキを飲むかはめいめいの好みということになりそうだが、「アゲー、しかし味はやはりカタイのが良いゾ」「でも、喉の通りが悪いのはねえ」「そうは言うても、うまくないとねえ」「病気して入院したら、欠かせない飲み物だからね」などとミキ談義がはずむ。こんなことがあるから旅って止められないな、と思う。ミキは、夏場に暑さで食欲が減退した時に老いも若きも飲むし、特に病人や御老人などはおかゆよりも栄養が補給できて愛飲する人が多い。季節に関わりなく売られているが、特に夏は盛んに飲まれるのだそうである。奄美地方ではソウルフード、いやソウルドリンクなのだなあ、と感心する。
ちなみに、わたしの読んでみた限りでは、島尾敏雄氏の著作にも、また奥さんのミホさんの書いたものにもなぜかミキのことは登場しない。あまり好みではなかったので、島尾家ではミキを買うことはなかったのだろうか。それともなじみすぎて文章を書くときの話題にならなかっただけだろうか。昨日は長男の伸三氏と語り合う時間が持てたが、このことも詳しく聞いてみればよかったかな、――などと、路地でミキを味わい、会話を愉しく聞きながら、考えたのだった。
街巡りを終えてからは、11時半には港の漁業協同組合の女性部が運営している「奄美小町」という可憐な名前の食堂に入り、新鮮な刺身をつかった定食で昼飯を済ませた。店で働いている「小町」さんたちはかなり年増だが皆元気で、親切で、愉しく食事ができた。
そして、午後、Nさんが迎えに来てくれて一緒に鹿児島県立奄美図書館へ出かけ、ノンフィクション作家・梯久美子さんの講演と6名によるシンポジウムを聞いた。会場には300名近く聴衆が来ていて大盛況である。それでだいぶん後ろの方に坐ったため、よく聞き取れないのであった。でも、梯さんの話は労作『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』に書いてあるようなことが多かった。島尾敏雄氏はミホさんを通して南島の濃厚な文化風土に目覚めていったし、ミホさんは夫との生活の中からやがて書き手としての目覚めを果たしたという、梯さんの視点はそのようなところがはっきりしている。シンポジウムは、司会者を含めて6名なので、これは多すぎる。1人宛の意見発表時間が短くて、じっくり喋る余裕がない。司会進行もやや融通に欠けるところがあり、物足りなかった。
催しが終わって、図書館の傍のコーヒー店へ立ち寄った。そこはNさんの行きつけの店だそうで、コーヒーがたいへんおいしかった。奄美へ来るとなんでも美味だな、と感心した。
それにしても、7月7日の「海辺の生と死」上映、8日の加計呂麻島散策ツアー、そして9日の講演とシンポジウム、いずれも参加者がとても多くて圧倒されるような思いであった。奄美地方においていかに島尾敏雄氏の人気があるかが良く分かる。いや、正確ではない。ミホ夫人のことも含めて考える必要があろう。お二人の生きた軌跡が、奄美の人たちにとって指標となっているものと見てよい。
夜は、奄美観光ホテルで懇親会が行われた。Nさんは家のことが忙しくて参加できなかった。3000円会費のその懇親会に参加したら、アトラクションが凄くて、奄美を代表する唄者・西和美さんが島唄を2回に分けて何曲も唄ってくれたし、また別の人が沖縄舞踊を舞ってくれた。みっちり堪能することができたので、後でNさんにそのことを報告した。Nさんは、「アゲー、それは豪華ですよ。滅多にそんな豪華な顔ぶれは滅多に見られないですよ!」と羨ましがっていた。
昼は土地の人たちのミキへの親しみぶりに触れたし、講演・シンポジウムも聴いた。夜は夜で南島の唄・舞踊を満喫したので、実に濃厚な一日であった。