前山 光則
11月6日、やはり天気が良かった。その日は、夕方、海老名総合病院で講演をしなくてはならないのであった。それまでの待機時間、落ち着かないなあ。だが、考えがあった。
海老名駅前のホテルを9時前には出て、小田急線で小田原へ向かった。海老名から50分ほどである。駅へ着くと、まずタクシーで海辺の小田原文学館へ向かう。ここは本館以外に白秋童謡館もあり、尾崎一雄旧居も保存されている。童謡館は修復工事中で入館できず、本館で北原武夫展だけ観た。あとは、国道一号線(東海道)を歩いて駅方面へ歩く。国道沿いには東海道の面影を残す和菓子屋やら蒲鉾屋やらがあって、ブラブラしながら覗いていくと結構暇つぶしができる。そして、11時過ぎに本町二丁目の老舗料理屋「だるま」へ入った。ここで天丼を食いたかったのだ。人気があり、行列ができてしまう店なので、早めに飛び込んだのであったが、すでに先客が10名以上は坐っていた。
ここは弦書房からも『南へと、あくがれる――名作とゆく山河』を出しているエッセイストの乳井昌史氏が、何年か前に連れてきてくださった店である。色々の海鮮料理があってどれもおいしいが、最も大衆的で人気があるのが車海老や魚・いか・茄子・ししとうの天ぷらがドーンと載っかった天丼だ。天ぷらの新鮮で美味なのはいうまでもなく、タレがまた程良い。老舗のこの天丼をゆっくりモリモリと食べながら、やっぱりここへ早めに来て良かったゾ、と良い気分であった。
そして、だるまを出た後は駅前の喫茶店にも立ち寄って、コーヒーとケーキでひと休み。夕方の講演のことが、おのずと頭に浮かんできた。朝起きた時にはやや緊張していたものの、小田原でブラブラした後、すっかり和んでいる自分がいた。もう、ガンバルのは止そう。自分のありのままをお喋りしよう――そんな気持ちであった。前々回に正直に述べたとおりで、わたしは所詮、さんざん飲んだくれて癌が発病した人間である。同情される筋合いもない自己責任だ。女房などは若い頃から健康には留意し、つつましく日々を過ごしてきたのに、不運にも乳癌を三度経験したし、現在も体調が思わしくない。また、こないだ10月18日にはわたしの姉が75歳で亡くなったのだが、15歳の時に重篤な統合失調症となって、60年もの長い間療養生活が続いた。自分がなぜ突然に笑い出したり、怒ったり、泣いたり、不可解な暴力をふるったり、あるいはふさぎ込んだりなどと発作を起こしてしまうのか分からぬままの60年。姉はほんとに苦しかったろうと思う。こういうふうに、世の中には思いもよらず病気に翻弄されて生きざるを得ない人たちがいっぱいいる。わたしなど、懺悔の値うちもないくらいのものだ。でも、5回も癌を経験して自分なりに見えてきたものがある。病院でベッドに臥しながら悶々と想ったあれやこれやがある。放射線照射や抗癌剤点滴等の治療がどのようなものであるか、副作用に苦しむ中で何を考えたか等、力まず、悪ぶらずに喋ってみよう――わたしはコーヒーを啜り、ケーキを口に入れながら、至って正直な人間になることができていた。
電車で海老名まで戻ったが、夕方までまだたっぷり時間があった。病院からお迎えの車が来るまでの間、ホテルの部屋の中で唐仁原教久著『「濹東綺譚」を歩く』を読んだり、テレビを観たりして静かに過ごした。