第335回 ていねいに生きて行くんだ

前山 光則

 人間、誰でも必ず死なねばならない。そうと分かっていながら日々を過ごしているのは、この世が生きるに値するからである。いや、幼い頃は何も考えていなかった。少年期・青年期ですら、ただ闇雲に生活してきただけであった。それが、年を経るにつれて違ってきた。自らの寿命に限りがあることを意識するようになり、そうなるとこの世はなんやかんやと面倒くさくて、決して面白いことばかりではなく、むしろ胃が痛むくらいに厭なことも多い日々であるものの、しかし自ら生を断つようなことは絶対にしようと思わない。たまに良いことがあれば、その喜びは何ものにも換えがたいので、やはり生きていればこそのことだ、と感謝の気持ちが湧く。この世には、生きるだけの値打ちが充分にある。
 ――こういうふうなことを考える時、淵上毛錢の「出発点」という詩はやはりなかなかのものだ。
 
 
 美しいものを
 信じることが、
 
 いちばんの
 早道だ。
 
 ていねいに生きて
 行くんだ。
 
 
 毛錢はこれを昭和20年(1945)から翌年にかけて書いている。30歳か31歳だったわけだが、そのような若い男がこういう詩を書いたのである。エネルギー溢れるまま故郷を出て、東京で青春の浪費を行なった。いわゆるバガボンドであった男が、昭和10年、結核性の股関節炎によって倒れ、以来、ベッドに仰臥する毎日が続くこととなった。病状は一進一退しつつ詩人を蝕んでいった。「出発点」を書いた頃の毛錢には、ほんとに死神はもうすぐ近くまで迎えに来ていた。毛錢にはその自覚があったろう。だからこそ「美しいものを/信じる」、それが「いちばんの/早道だ」との思いを洩らす。では「美しいもの」とは、何だろう。いや、ここで具体的なものを示す必要はない。むしろこのように抽象的というか、漠然としている方が良いので、そうすれば読む者が自らのイメージでそれぞれ自由に思い描くことができるわけだ。重要なのはその後であって、毛錢は「ていねいに生きて/行くんだ」と詩を締めくくる。そう、死を受け入れるにあたって、一日一日はおろそかにしてはならない。ていねいに生きてこそ、自らの現在の生が輝く。
 毛錢のこの詩を、実は亡妻の遺品を整理していて久しぶりに目にした。妻の使っていた「3イヤーズ・ダイアリー」との名がついた手帳の最後のページに、きちんとした大きな字で全文が記されていたのである。これを目にして、こみ上げてくるものがあった。
 3年分をメモできる手帳であるから、いつ記したか。3年前であったか、2年前か、あるいは昨年9月に膵臓癌の診断が下っているから、その時なのか。はっきりとは分からないながらも、妻が毛錢の「ていねいに生きて/行くんだ」との意思表明に共感しているという、そのことだけははっきりしている。亡くなったのは今年の7月18日であるが、5月6日まで自身の病状や思いを簡単にメモしており、「糸島の雷山へ、レンタカー。護摩だきがあっていて、加えてもらう。声明のところで涙が落ちる」(3月17日)、「元気出そう!」(3月23日)、「今週は点滴お休み。今週は楽かも知れない」(4月24日)、「胃が痛いより、筋肉・関節の痛みが止まる方がいい」(5月6日)等々、読んでいてつらくなるくらい切実だ。3月17日の記述であるが、その頃はまだ外出する元気があって、2人して福岡の娘のところへ出かけていた。RKB毎日放送のドキュメンタリー「苦海浄土」上映会を観たりもしたついでに、レンタカーで糸島市の雷山、千如寺大悲王院へ行ってみたのだった。わたしなどは、あのあたりは景色が良いので気軽に春の風情を楽しみたく足を伸ばしたつもりだったが、妻は違っていた。護摩行が行われているところへ加わり、お祈りを始めたのである。「声明のところで涙が落ちる」とあるのは、ほんとにあのあと目に涙をにじませていたので驚いた記憶がある。
 そんなふうにパラパラと妻の手帳をめくっていたら、表紙の裏に「2017・11・19」と日付けを記した上で、
 
 
 秋空を見ようよ
 今日を生きようよ
 
 
 このように俳句が2行に分けて、大きな字でメモしてあるのを見つけた。ああこれはわたしのヘッポコ俳句で、昨年10月10日に詠んでいる。妻は、10月4日に膵臓の手術を受けてから、まだ病院のベッドに横たわっている状態であった。そんな妻へ励ましをしたい気持ちで考えた句で、作ってからすぐに見せてやったのであった。だが、いかにもヘッポコ五七五。その後、月に1回知り合いが集まって遊びで行われる句会に出してみたものの、当然のことながらまるで問題にされなかった。それが、しかしながら妻にとっては大切なものとなったのであったろうか。句を見せた時に、とても喜んでくれていたのは事実である。「秋空を見ようよ今日を生きようよ」――これについて格別に感じるものがあったから、いつまでも忘れぬよう手帳に大きく書いてくれたわけだったろう。
 手帳は、5月6日の「胃がチクチクする。でも胃が痛いより筋肉・関節の痛みが止まる方がいい」と記してからは空白になっている。これは症状が悪化して、ボールペンを握る力も萎えてきたせいである。それまでは結構まめに日々の記録や思いを書きつけている。それらのメモのいちいちに、「ていねいに生きて/行くんだ」や「今日を生きよう」との思いが満ちている。この切実な思いに自分がどれだけ対応してやれたか、手帳を見続けているうちに嫌気がさすほどの無力感に襲われてしまった。
 
 
 

▲曼珠沙華。彼岸花のことである。この頃、近所のあちこちで見かける