前山 光則
10月29日、快晴。久しぶりにふるさとへドライブをした。
わたしは熊本県人吉市の出身だが、そのちょっと先、球磨郡あさぎり町の親戚が新米をくれるので、その日、丁度折り良く福岡在住の娘が帰ってきていたから一緒に受け取りに出かけたわけだ。毎年くれるので、ありがたいことだといつも思う。実は、米は他の親戚からも貰うことが多い。自分で耕すわけでなく、ふるさとの親戚が作った米を分けてもらえる。おかげでもう長いこと米を買わずに済んでいるのだから、感謝せずにはいられない。
30㎏入りの新米を車に積んでわが家へと帰る時、人吉市内を通過した。そしたら、娘が「温泉に浸かりたい」と言い出した。ああ、かまわんけど、どこの温泉に浸かるか。人吉の町の中にあるのは、わりと古いタイプの「銭湯」という感じ。これに対して、郊外に営業しているのは「温泉センター」と呼ぶのがふさわしい。流行っているのはどうしても郊外の温泉センタータイプの方で、広いし、設備もいろいろ充実している。だから、町の中の温泉は寂れてしまっているのが実情だ。ところが、娘はそっちのタイプの温泉に行ってみたい、と言い出した。そうさなあ、町なかのどれが良いだろうか、と迷ったが、久しぶりにT温泉へ入ってみることにした。
そこは人吉城址の近く、或る球磨焼酎醸造元の隣りに立地しており、古い木造平屋建て。建物に向かって右手が男湯、左手が女湯である。ギィとドアを開けて入ると、ガランとして人の気配がない。男湯と女湯の間の番台に箱が置いてあり、料金を入れるようになっている。200円だそうだ。番台に人が居らず、しかも入浴料わずか200円だ。八代に住んでいるからよく日奈久温泉に行くが、日奈久でもこういう場面に出くわす。ただ、それは時たま従業員が忙しいために番台が留守状態になっているわけだ。ここでは、どうなのだろう。事情が分からぬながら、客を信頼して料金を箱に入れてもらうというこの「性善説」には頭が下がる。娘もわたしもうやうやしく100円玉2個ずつを料金箱に入れて、それぞれ男湯・女湯へと入ったのであった。
なんという湯の澄み切り方であったろう。湯槽が2つ並んだ浴場に先客はいない。程ほどの温度の湯が勢いよく流れ込み、ザブンと浸かると心地良いことこの上もない。これで200円とは、ほんとにゼイタクである。「おーい、これはサイコーだよな!」と女湯の娘に声をかけたかったが、もしかしてそっちの方には浴客がいるかも知れず、はしたなく思って控えておいた。そしたら、わが男湯には50歳代かと察せられる小太りの人が来た。番台に金を置くとすぐに衣服を脱ぎ、サッサと裸になった。常連であるに違いなかった。
「ここは良いですねえ。湯がきれいだ」
と声をかけたら、常連さんは何食わぬ顔で、
「今日の湯加減は、まあまあです」
と呟いた。
「すると、まあまあでない時もあるとですか」
常連さんは頷いて、
「湯を沸かし過ぎることがあって、ですね。昨日は浸かっとるのがつらかった」
とぼやいてみせた。この人は毎日ここへ入りに来るのであるらしい。なんでも、ここの源泉はわりとぬるいのだそうだ。だから適当に沸かすことにしてあるらしいが、たいして入浴客も多そうでないのにそんなことをするのである。採算は取れているのだろうか、と心配してあげたくなった。
「夕方や夜には、入りに来る人たちは多いのですか」
と聞くと、
「はい、いや、うん、まあまあかな」
と答え方があいまいだ。そしてここの湯は、
「一部分を焼酎蔵の方に引いて、見学客が足湯できるようにしてありますもん」
ははあ、してみればこのT温泉の持ち主は隣りの焼酎醸造元なのだな、と察せられた。それにしても入浴料200円、ぬるい源泉を沸かして提供するのだから、頭が下がる。
常連さんはちょっと浸かった後、体を洗い、拭いて、アッという間に着替え場に戻って行った。わたしはもうしばらく湯を愉しんでから着替え場に戻ったが、折良く娘も着替え終わり、外へ出ようとするところであった。その時になって、番台の後方の料金表に新たに気づいたことがあった。料金は、「大人200円(中学生以上)、中人100円(小学生)、小人(幼児)50円」と記してあり、「熊本県知事指定料金」だ。うん、それはさっき見たから知っていた。だが、その料金表の日付けが、である。よく見ると、「昭和58年6月1日」とあるではないか。う、う、うわあ……、これって、何十年前になるのだ? わたしはとてもとても感動してしまった。
あさぎり町では労せずして親戚からおいしい新米をたくさん分けて貰い、人吉の町なかでは昭和58年以来入浴料の値上げがなされない温泉にぬくぬくと入ることができた。これはもう、ふるさとに尻を向けて寝るわけにはいかないなあ。しみじみと思った。