三寒四温、寒かったり温かくなったりが交互にやって来るうちに、良くしたものでこの頃だいぶん春らしくなった。
最近、人間この世に生きていると全く予想もしないことに出くわすものだな、と思う。
このようなことは、若い頃は考えたことがなかった。ただ闇雲に日々を過ごしていたし、ひょんな事態が生じても格別の感慨もなしに対応したような気がする。やはり歳をとったから「全く予想もしないことに出くわすものだ」などと溜め息つきたくなるのだろう。
何があってそういう思いをしたのかと言えば、実はいつもコーヒー飲んだり食事しに行ったりして馴染んでいるJR八代駅前の喫茶店ミック(℡0965・32・2261)さんが、このたび「珈琲店ミック特別企画展・前山光則を読む」と題して、来たる2月26日(金曜)から3週間、わたしが今までやってきたことについて紹介・展示してくださるからである。企画を立てたのは店主の長女・笠井麻衣(かさい・まい)さんで、なんでも、八代には色んな分野でそれぞれ特異なことをやってる人がいる、だからそういう人たちのやってきた仕事をもっと広く市民に知らしめるべきだ、と考えるのだそうだ。その中の一人として、わたしを挙げてくださったことになる。麻衣さんは、夫の笠井光俊(かさい・みつとし)さんと共に着々と準備を進めてくださった。店主であり、麻衣さんの父親である出水晃(いずみ・あきら)氏がまた、若夫婦の動きに呼応して宣伝チラシに推薦の文章を書いてくださった。次のとおりである。
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幼少期から少年時代を、人吉という濃厚な人間関係の中で育った前山氏は、東京に出て法政大学夜間学部に学んだ。学費を稼ぐためにアルバイトをした出版社では原稿を受け取りに行って著名な作家たちに接し、別のバイト先のレストランでは、贔屓客だった歌舞伎役者や芸能界の人々の間を動き回って彼たちの個性あふれる姿に生き方での影響を受けたようだ。
卒業後、熊本に戻り、熊本商業高校定時制に勤めるうち、文人墨客のたまり場であった酒房カリガリに出入りするようになった。そこで渡辺京二、石牟礼道子たちと出会う。人から頼みごとをされたり、誘われたりしたら決して断ることのない、生来のおおらかな性格が彼たちに親しまれ、彼は彼で、広い視野と奥深い洞察を兼ね備えた、本当の大人に成長したのであろう。
三年前、最愛の奥様に先立たれ、しばらくは本当にへこたれていたが、種々の依頼を訥々と引き受ける、結構な忙しさの中で、元気になったようだ。
柔らかい人吉弁と気さくな人柄で、「マエヤマ先生」と地元の広い世代に親しまれている氏であるが、この度、彼がこつこつと読み解き、掘り下げ、記録してきた「人」「風土」「文学」の広さ、深さを俯瞰し、改めて畏敬の念を表したい。
足跡と輪郭を辿るのが精一杯の内容であるが、氏の視線の先に広がる、豊饒な光景を気軽に楽しめる場を共有したいと思います。
どう見ても褒めすぎとしか言えない箇所がいくつもあって、恐縮してしまう。わたしなんか、どうしようもないボンヤリした人間であり、平凡そのものなのだから。ただ、出水さんはわたしの今まで書き著した本のほぼすべてを読んでくれているし、若い頃のボンクラ学生ぶりはわたしや友人たちから色々聞き出してくださっている。呑んだくれだった頃のことは、実際に一緒に遊び回ってくれたりして詳しくご存じだ。そうでなくては綴れない文章だな、と思う。ありがたいことである。
この企画の申し出を受けて、はじめのうちわたしは、困惑しつつもなんだか嬉しいが、しかしながらどう対処したらよいのか分からないでいた。
ただ、笠井夫婦から、あなたは高校時代に『月明学校』という本に感動し、どうしても球磨郡上村(現在、あさぎり町)八ヶ峰(はちがみね)の現地へ入ってみたくなった、修学旅行の積立金を取り崩してキャンプ用品を工面し、山の中へと分け入ってみている、だから毎日9時間も10時間も山中をさまよっての三泊四日の旅、あの体験は「前山光則の原点」なのではないか、との指摘を受けた。こう指摘された時は、思わずアッと声を挙げてしまいそうになった。つまり、この連載コラム第375回「『月明学校』を初めて訪れた時は……」や第376回「三上親子と月明学校」に書いた、あの上村立小中学校八ヶ峰分校のことだ。自分としては、高校時代の山中彷徨はただ単に無茶なことをしでかしてしまっただけであった。でも、若いお二人から見れば、それはわたしの「原点」として映じているのだなあ。言われてみれば、そうなのかも知れぬ。これはつまり、若い夫婦から自分の無意識部分を掴み出してもらったことになるなあ、と、感じ入ったのであった。
そうであれば、もう、笠井夫妻の企みをあるがまま受け止めて成り行きを眺めさせてもらうしかなかろう、と、今はそうした気持ちである。宣伝チラシには出水氏の文と並んで、わたしの次のような挨拶文も載せてある。
かねてから親しくさせてもらっている珈琲店ミックさんが、わたしのこれまでの文筆活動が展望できるようなものを、と、この度、企画を立てて下さった。思いもかけぬことであった。
少年時代は本好きでなかったし、作文も嫌いだった。それが、ある時期から急にむさぼるように読書しはじめ、せっせと文章を綴る人間となった。以来、あれやこれや書いてきて、今、年齢も七十歳を超えた。改めてふり返れば、結構な量の書き物が積み重なっていたのだった。なんだか、溜め息が出てくるほどだ。しかし、このたび展示に備えて書棚や資料を整理しながら自分のものを読み返してみたが、若い頃には若い自分でし か書けなかったことを書いている。年をとってからは、年齢を経なければ表現できなか ったことを言っている。自分の辿ってきた道がありありと遺されており、実に感慨新たなものがあった。
結局、なにより自分自身がこれまでのことをじっくり捉え直すことができるのだなあ、と思った。文筆活動はまだまだ続けて行かねばならぬので、今回の企画は必ずわたしの心の糧(かて)となる。感謝、感謝である。
自分でも「思いもかけぬこと」と書いている通りであり、ほんとに、もう、恐縮するばかりだ。だが、なんと言っても若い頃から書き続けてきたので、出来不出来はともかくとしてそれらが累々と積み重なっている、それは否定しようのない事実だ。
この「珈琲店ミック特別企画展・前山光則を読む」の会期は、最初記したとおり2月26日(金曜)から3月16日(火曜)までの3週間である。ただし、水曜日は店休日。それから、会期中の3月7日(日曜)には、午後3時からトークショーも予定されている。会費は、コーヒーや資料代も含めて1000円だ。コロナ禍への配慮から定員は25名に絞り、前売り券が発行されたのであるが、公表した途端に申し込みが相次いで売り切れてしまったそうだ。まだ希望者がだいぶんいらっしゃるようなので、ミックさんとしては会期が終了し、4月になってからでも改めてもう1回トークショーを行えるように検討中とのことだ。わたしとしても、そうした配慮に異存はない。
その3月7日のトークショーの中身だが、要するにわたしがあれやこれやお喋りをさせてもらうことになるだろう。朗読もする予定で、これはわたしの最初の本『この指に止まれ』(昭和52年、葦書房刊)所収の「口笛」を予定している。5分少々で読み終えてしまう短編である。誰か朗読の専門家にやってもらうのが、良いのかも知れない。しかし、文中に方言が出てくるし、自分でも愛着があるので、歳をとってもいっこうに人吉訛りの治らぬわたし自身がやってみようと思ったわけである。
さて、どうなるだろうか。なんだか、実はわたし自身はまだドギマギしている。