第390回 水を浴びながら

前山光則

 毎日、暑い。クーラーにはなるだけ頼りたくないので、夜は窓を開けたまま眠る。そのため、汗かきながら寝床で耐えることがしばしばである。無論、夜中、暑さで目が覚めてしまう。
 そんな夜な夜なについて、ある知り合いにポロリと愚痴こぼしをしたところ、
「いや、そんならば、夜中に目が覚めてしまったらシャワーを浴びなさいよ。すぐにまた気持ちよく眠れるバイ」
 こんなふうに意見してくれた。
「フーン、そんなもんですかねえ」
 半信半疑で聞いたのだったが、知り合いはさらに、
「ぬるま湯でシャワーしても、駄目。水のまんまが気持ち良かと」
 とつけ加えるから、首を傾げてしまった。「夜中に、冷たい水を、シャワーして、浴びるわけですか。そぎゃんことしたら、目が冴えてしもうて、逆効果でしょうもん」
 とわたしは言い返した。知り合いのお勧めには、とうてい応じられない気分であった。
 だが、2週間ほど前であったか、夜中、寝苦しさに目覚めてしまい、ふと知り合いの言ったことが思い出された。試しに、冷たい水のシャワーを浴びてみようかな。思い切って風呂場に行き、裸になり、水を出して全身に浴びる。おお、冷たい、冷たい。ちなみに、わが家は水道水ではない。井戸水である。冷たすぎて嫌になるかと畏れていたが、違った。体に震えがくるくらいにじっくり浴びたら、気分が落ち着く。いやいや、そればかりでなかった。なんだか、心の底からふつふつと悦びのようなものが湧いて来たのであった。
 体を拭き、衣服を着直して寝床に戻ったのだが、不思議や、グッスリ眠ることができた。
 以来、夜中の冷水シャワーが習慣となった。とにかく、シャワーを浴びると、心がウキウキしてくる。良い気分になれる。
 そして、実は冷水を浴びるのは自宅だけでなく、温泉に出かけた時にもしてみるようになった。
 実は、日奈久温泉に馴染んでいる。一人暮らしであるから、わざわざ自宅の風呂場で湯を沸かすのが面倒なのである。片道9.5キロ、車で出かける。旅館の内湯やら銭湯やら、良い湯がいくつもあるが、日奈久の温泉センターを利用することが多い。そこは「ばんぺい湯」と名がついており、良質のアルカリ性単純泉、源泉掛け流しである。石けんやシャンプーも備えてあるので、わざわざ持参する必要がない。入浴料は500円であるが、われわれ年寄りと身体障害のある人は特別割引、310円で入浴することができる。わが家の狭い風呂場で一人きりの入浴をするよりも、ずっと良いのである。
 いや、それで、冷水のこと。実は、広々とした大浴場の一角に2メートル四方ほどの冷水槽が設けられている。そこはすぐ横にサウナ室があり、サウナ風呂をじっくり愉しんだ人たちが、ドブンと浸かる。サウナでの熱気をその冷水槽で冷ますのである。顔なじみの人が、以前から、
「あんたも、ここへ入ってごらん。気持ち良かとばい」
 と勧めてくれていた。でも、わたしはサウナは苦手だし、温泉に浸かりに来たのにわざわざ冷たい水に入る必要もないゾ、と思い、これまで冷水槽の方には目もくれなかった。
 しかし、わが家で夜中にシャワーをしたらとても気持ちよかったので、実は数日前にその冷水槽にも身を沈めてみた。はじめ、体をよく洗ってから内湯の方の湯槽にじっくりと浸かる。汗ダクとなる。それから、露天風呂の方へ出て、外気に触れながら、風景をも愉しみながらぬるめの湯の中で過ごす。そして、その後で冷水槽の中にズンブリと浸かってみたのであったが、いやはや、これが実に気持ち良い。しばらくはそこを出たくなくて、体が冷え切ってしまうまで身を沈めていた。わが家で冷水シャワーを使う時と同様で、なんかこう、嬉しくてしかたなくなってくる。心が軽く、ウキウキ気分だ。
 わが家での冷水シャワーといい、日奈久温泉冷水槽といい、こういうふうに体を冷やす習慣を持っていれば、夏バテなんかしなくて済むなあ、と思う。
 さて、しかし、である。そんなふうに冷水を愉しみながら、自分はなんでまたこんなに嬉しい気分になるのだろう。ふと、不思議な気持ちになったのであった。
 それで、先夜も暑さに目覚めてしまい、わが家の風呂場で冷水シャワーを浴びたのだが、すると、夢まぼろしのように幼い頃のことが甦ってきた。ふるさと人吉での夏の昼、家のすぐ裏の山田川。球磨川の支流である。水泳パンツ1枚履いただけの裸になって、川へ下りて行き、ドボンと飛び込む。川の水が体を包み込む。夏の暑さがいっぺんに吹き飛んで、快適、快適。ずんぶり身を沈めているだけで、言うことなし。後はもう時間を忘れて川の中で泳ぎ、魚を追いかけ、夕方まで夢中で過ごすのだった。
 ああ、そうだ、あの川の中での充実感。わが家で冷水シャワーを浴びたり、日奈久の温泉センターの冷水槽に浸かったりして湧いてくる悦びは、子どもの頃に川の中で味わったものとまったく同じだ! 
 そのことに、ようやくに気づいたのだった。
 そう言えば、もう10年以上も前のことになるが、宮崎県日向市東郷町の中を流れる耳川で泳いだことがある。あの時は、歌人・若山牧水が子どもの頃に馴染んだ耳川やその支流・坪谷川でどのような水遊びがなされていたか、実地に色々やってみようというわけで、みんなで川に入ったのであった。

     ふるさとの日向の山の荒渓の流清うして鮎多く棲みき
     上(かみ)つ瀬と下(しも)つ瀬に居りてをりをりに呼び交しつつ父と釣りにき
     釣り暮らし帰れば母に叱られき叱れる母に渡しき鮎を 

 牧水は、こんなふうな歌を詠んでいる。川遊びが大好きだったそうで、すでに少年の頃から父親よりも鮎釣りが上手になっていたほど川に馴染んで育ったのである。
 だから鮎掛けをやってみたかったのだが、地元の人が用意したのは釣り竿ではなかった。土地の魚取り名人さんは、ゴーグルや、魚捕り用の鉾(ほこ)等を用意してくれた。つまり、その人は、鉾を使っての鮎漁の名人だったのだ。名人が先に川へ入り、鮎を探して潜り始めた。こうなると、見ているだけでは絶対に我慢できなかった。衣服を脱ぎ棄てて、水泳パンツを履き、追いかけるようにして川へ飛び込み、泳ぎ、潜った。耳川の流れはとてもきれいで、水中のどこまでもよく見えた。鮎もいたし、小魚もうろちょろしていた。いや、そういうのを捕るのは名人の仕事、わたしは川に潜ってうろちょろしながら歓喜の声を挙げていた。いやあ、気持ちいい、心地良い。川の水に浸かったままの状態が嬉しくて、ずっとそうしていたかった。いや、あげくには、名人から鉾を借りて魚を追いかけてみた。鮎は捕りそこねたものの、ハゼに似たわりと大きな魚は仕留めたので、嬉しくてしかたなかった。あの時の自分は、まるで子どもであった。 
 そうしたことなども、グーッと、懐かしく甦ってきた。
 つまり、真夏の暑さの中で冷水に浸かると、なんだか自分が子どもの頃に帰ったような気分になれるのだなあ。
 ――いや、ま、あまりにも他愛ないことである。でも、今、しみじみとそうした自分の気持ちを確かめている。

▲日奈久温泉センターばんぺい湯1階奥は普通の銭湯になっており、入浴料200円。2階の方にはサウナや露天風呂もあって、520円。身体に障害のある人や70歳以上は310円。ここには、江戸時代は、庶民の入れない「殿様湯」 があったのだそうだ。