前山光則
前回は短歌について書いたが、今回は俳句である。乳井昌史氏の俳句集『ひとり遊び』を読んで、たいへん感心したのである。
足萎えのガン患者よ立て 立春ぞ
巻頭を飾るのは、この句である。癌を病みながら、前向きに生きる姿勢がはっきりと表明されている。それは句集全体に窺えるのであるが、とりわけ次のような作に顕著に見て取ることができる。
再発は転移よりよし春一番
静かにも見える転移や梅雨明くる
暗転の麻酔の記憶秋めぐる
放射線身の奥に当て九月尽
癌だけでは済まねど今日の秋日和
乳井昌史氏は、昭和19年(1944)6月、青森県生まれである。大学卒業後、読売新聞東京本社に入社し、社会部記者や論説委員、編集局次長・文化部長などを歴任した。東京都豊島区の巣鴨地蔵通りは「おばあちゃんの銀座」と呼ばれ、広く親しまれているが、この愛称の名づけ親は乳井氏である。平成14年(2002)に退社した後は、東京農業大学や早稲田大学、慶應義塾大学の講師などを務める一方でエッセイストとして活躍している。著書に『スローで行こう―「自然環境」を考える44冊』『美味礼読』等があり、弦書房からは『南へと、あくがれる―名作とゆく山河』が平成22年(2010)に出ている。これは、北国生まれの乳井氏が南国九州の名作の舞台をあちこち巡るという文学紀行で、平成19年(2007)5月から21年12月まで読売新聞西部版に連載された後に単行本化されたのであった。わたしなどは、その連載の中の第6章「〝山のドンキホーテ〟の生まれ故郷で山の変容を知る・小山勝清『或村の近世史』」の取材で熊本県相良村にいらっしゃった折りに同村の学芸員の紹介でお会いした時以来、おつきあいさせてもらっている。平成20年(2010)9月23日には、八代市日奈久町の町おこしイベント「九月は日奈久で山頭火」のシンポジウムで、「山頭火と世間師たち――九州の文学紀行から」との題で講演をしてもらったこともある。
乳井氏が時折り俳句を詠み、発酵学・醸造学の小泉武夫氏等と定期的に「醸句会」という句会をしていらっしゃるのも知っていた。同句会の合同句集『舌句燦燦』には、「北へ向く列車短し秋の雲」とか「大いなる甲斐の龍太の春の空」といった作品が収められており、水準に達した佳句を詠む人だとは承知していた。だが、こうやってこの度まとめて読んでみると、いや、この人は実にほんとに立派な俳人なのである。
どこやらに眼鏡忘れて月おぼろ
ぜいたくに各駅で行こう花の中
鰯とも鯖とも言いて山の雲
歳時記を軽(かろ)きに替えて今年かな
瞬くも瞬かざるも星冴ゆる
1句目には、春の夜の駘蕩たる気分がよく出ている。作者はおぼろおぼろの月を仰ぎながら、気分良くなっている。なかなか風情があるなあ、と。だが、ハッと気づけば、迂闊にも眼鏡をかけていなかった。だから、「月おぼろ」。しかし、迂闊であったこと自体が春の夜の気分良さによるものであったのだ。
2句目、東京都八王子市の高尾駅始発の電車に乗って成った句だそうであるが、桜の季節に車中から花を愉しむには、スピードの出る電車では絶対に味気ない。ここは一つ、各駅停車で行くべきだ、というわけだ。そう、春の汽車は遅い方が絶対にいい。
3句目、鰯雲も鯖雲も、いずれも雲の形状が魚の鱗に似ているからその名がついている。しかし、さて鰯の鱗か鯖のそれなのか、区別つけようのない形状の雲が空に並ぶことが結構あるではないか。そのような微妙な秋の空模様がきちんと捉えられている。
4句目は、詞書に「六巡目の申年を迎え、韮崎駅ホームにて四句」とある中の1句。「六巡目」とは、後で詳しく触れるが、湯治(とうじ)に出かけるようになって6年目ということであろう。これはサラリと詠んでありながら、実は自らの老いの自覚が述べられているのではなかろうか。俳句歳時記は、本格的な詳しいものであればどっしりした重さである。これはもう、そんな重たいものを持ち歩くのはしんどくなったので、年が改まるにあたってハンディな歳時記に代えてみたのであろう。
そして5句目は、アイソン彗星の大接近を天体望遠鏡で観ようとした際に詠まれた句だそうで、寒く凍てつくような夜空が捉えてある。仰ぎみる夜空は、完全に晴れきっているわけではなく、だから、星の様子も、瞬くのもあればそうでないうすぼんやりとした星もある。しかしながら、やはりひどく寒い状態なのだった。だから「星冴ゆる」である。
以上の5句、実に手練(てだ)れの詠み方だと思う。キッチリまとめるだけの才と修練を経なければ、こううまくはまとまらない。
さて、作者の闘病生活というか、前立腺癌とのつきあい方が偲ばれるのが次のような作品ではなかろうか。
春めくや峠越え来てバス弾む
雪解やラジウム泉湧く川辺にも
春あけぼの夢のつづきは湯の中へ
花去りて湯治の気持ち取り戻す
宿替えや蛍飛ぶよと誘われて
秋雨やこれが仕事と湯に浸かる
源泉を飲む一本の管(くだ)と化し
どれも、山梨県北杜市須玉町の増富ラジウム温泉での湯治を思わせる句である。ラジウム温泉が癌の治療に効果があるというのは、わりと知られているだろうと思う。増富は、三朝温泉(鳥取県三朝町)や玉川温泉(秋田県仙北市)と並ぶ日本三大ラジウム温泉として知られる。乳井氏は、だいぶ以前からこの山奥の温泉地へ湯治に出かける習慣を持ったらしいのである。
山奥の地であるから、1句目のようにバスで「峠越え」をせねばならぬのか知れない。冬となれば雪深い地なのであろう。だから、2句目「雪解」(ゆきどけ)の時季には大きな喜びを味わうはず。また、入浴は愉しくないはずがないので、3句目のように目覚めて後に湯槽に浸かる時、「夢のつづきは湯の中へ」となる。でも、愉しみのために増富に行くのではない。あくまで療養の一環としてのラジウム泉である。だから、4句目、桜の花の散り終わった時には、それまで花の美しさに気を取られていたのだが、「湯治の気持ち」を「取り戻す」こととなる。
それにしても、5句目は、蛍の季節に宿替えをなさっている。そこが蛍見物には恰好の場所にあると聞いたので、宿を替えてみているのである。やはり、療養だけの増富行きでない、心の癒やしの場としてもそこは存在しているのだな、と察せられる。またそれだけのものがあるからこそ、前向きの闘病生活ができるのではなかろうか。
6句目になると、秋雨の降る日、入浴は療養のための「仕事」だぞと自らに言い聞かせて湯に浸かるわけである。無論、7句目で増富の源泉を飲むのもその効果を恃んでのことに違いない。ぐいぐいと飲むので、喉はまさに「一本の管」と化す。
春の風邪文三つ書き句も一つ
夢の世の声の一つや浅蜊売り
四月来る何かよいことありそうに
グングンとグングンと春のホームラン
絵見堂の地名うるわし甲斐や春
風だけを乗せてブランコ遊びおり
すかんぽや道草の味よみがえる
つつじ咲かせ餅菓子つくる小店かな
バスが好き菖蒲の香(か)をも運ぶから
遅れつつ独り代掻く棚田かな
遠目にもキラリと鮎の釣られけり
梅雨寒や部屋小さくてよき具合
暁もかなかなの声なかなかに
点描のように紅葉始まりぬ
初時雨地蔵の頭撫でて過ぐ
眩し過ぎてページを閉じぬ日向ぼこ
大根炊くよその分までたっぷりと
こうした作品も、増富温泉で詠まれたのではなかろうか。そうでなくても、温泉への行き来の道中での見聞が作品化されているような気がしてならない。そのような、何というか、馥郁としたものが匂い立つ句ばかりである。5句目には、「絵見堂」という地名の面白さに着目されている。甲斐の国の春、それは、色んな花々が一斉に開花する、夢のような「春」である。他地域から初めて春先の山梨県に入ってみると、まるで嘘かと思ってしまうような華々しい景観が展開するのである。「絵見堂」という地名がまた風雅で良い。それから9句目は、バスの中に菖蒲の束を持った乗客がいたのであったろう。田舎のバスでは、そのような長閑な経験ができる、だから「バスが好き」となるわけだ。
そして、13句目、これがまた山の中ならではの詩情ではなかろうか。かなかなは夕方だけかと思えば、朝方も鳴くのである。嬉しくもあり、ひどく胸が締め付けられてしまうものでもあろう。
さらに、である。次の3句は、どうだ。
行き交いの人見て見られて昼ビール
名月を言いわけにして酒少し
粕汁やこれ一つにてのめるのに
この3句などは、酒好きな作者の面目躍如というものであろう。1句目には「甲府駅北口、窓の大きなカフェで」との詞書がついている。2句目には詞書はついておらず、3句目は「禁酒中の夕食」とあるだけだ。でも、2句目も3句目も、増富温泉での「酒」ではないかと思いたくなるが、いかがであろうか。
さて、この句集『ひとり遊び』は、収録句数が365句である。つまり、1年間の日数と同じだ。乳井氏は、「あとがき」の中で、こう書いている。
「結社やカルチャーセンターで学んだことはなく、僕にとって句作は、「ひとり遊び」のようなものなのだ。今回、その中から三百六十五句を選んだ。こんなに通い続けて「もはや湯治も日乗、つまり365日の一環」のように思えてきた。「365」の句数には、そんな気持ちもこめられている」
なるほど、そういうわけで365句が収録されているのであったか。「足萎えのガン患者よ立て 立春ぞ」との気概で自らの病いと向き合いつづける乳井昌史氏、まことに見事な1冊だ。こんなにも充実した句集が刊行されたことに、心から祝福を送る次第である。